赤楚衛二(27歳)は『仮面ライダーアマゾンズ』で長瀬裕樹役として出演した後、同年9月に『仮面ライダービルド』で万丈龍我 / 仮面ライダークローズ 役として仮面ライダーシリーズ2作品に出演した。
2020年に『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』で単独ドラマ初主演を飾り、その後も様々なドラマや映画で俳優として活躍。
今回はそんな赤楚衛二の父親と母親について検証する。
目次
赤楚衛二の父親・赤楚尚之(あかそなおゆき)について
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赤楚衛二の家族構成は父親、母親、弟の4人家族。
その赤楚衛二の父親、『赤楚尚之』について。
赤楚尚之(62歳)は言語学者で、プロフィールについては以下の通り。
- 名前:赤楚尚之(あかそ なおゆき)
- 生年月日:1959年11月7日
- 出身:大阪府守口市
- 学歴:同志社大学大学院文学研究科英文学専攻博士課程前期終了、ウィスコンシン州立大学マディソン校卒業
- 文学修士(同志社大学)、M.A.(University of Wisconsin- Madison, Graduate School of Linguistics)
- 言語学者
赤楚尚之は、30歳の時に1989年名古屋学院大学外国語学部専任講師に就任。
1994年3月1日に長男の赤楚衛二が誕生し、1998年頃に次男の赤楚周平が生まれる。
40歳で1999年同外国語学部教授になり、その後同大学の外国語学部長、大学院外国語学研究科長、学生部長を歴任し、2020年4月に学長に就任。
現在は名古屋学院大学の学長で年収1500万円超えか!
赤楚衛二の父親赤楚尚之は、同志社大学・大学院を経て、1989年から名古屋学院大学にて専任講師を務める。
その後名古屋学院大学一筋で学長まで上りつめた。
名古屋学院大学に務める傍ら、1996年にはウィスコンシン州立大学の学位も取得。
「自ら考える事、考える事から逃げない事」、この言葉は赤楚尚之が何時も念頭に置いている考え方なんだそう。
赤楚尚之の大学での授業をまとめたブログでは、学生に教えるのが上手いという印象が。
- (講義の内容が)難しいことをやってるんと違うで。丁寧にやっていったら誰でもできる。
- 「難しそうなことをやっているから、もうやめておこう」と思って自分の頭を働かせることを止めたらダメだぜ。
- 先週言ったけれども、日曜日辺りに、ノートを見直したか?見直してなかったら、1週間丸々頭の中が消えてるから、しっかり思い出さなあかんで
「丁寧に勉強すれば誰でも出来る。」
「難しいから諦める、と脳を停止させてはダメだ。」
「きちんと習ったことを復習しなさい。」
これらの言葉は生涯残る物だろう。
また、2020年学長に就任した際のメッセージでは「若者の特権は『夢』を語る事。真剣な眼差しで夢を追い掛ける若者を名古屋学院大学は全力でサポートします。」と語っていた。
そんな名古屋学院大学の学長を務める赤楚尚之の年収はどれ位なのだろう。
先ずは大学の教授クラスは幾らもらっているのか。
調べてみると、大規模な私立大学では平均年収が1200万円~1500万円だそうで、小規模の大学の教授だと平均年収が500万前後だそう。
大学によって大きな差があるようだが、教授だけでも一般のサラリーマンよりはだいぶ多くもらっている事が分かる。
それが学長クラスになると、低くても1500万円はもらえるそうだ。
ちなみに有名大学の学長の年収はというと。
- 東京大学の学長 年収は2258万円
- 京都大学の学長 年収2122万円
- 名古屋大学の学長 年収2068万円
名古屋学院大学はそれほど有名な大学ではない為、おそらく年収は1500万円前後ではないだろうか。
また赤楚尚之は大学の講師や英語の研究だけではなく、『英検準一級・TOEICの総合演習』や『現代の英語学』等といった英語に関する本も多数出版している。
学長の収入だけでなく本の印税もあるため、年収はもっと多いだろう。
2019年3月までは同大学の言語学(英語)の教授で学生からも人気
出典:https://www.crank-in.net/trend
赤楚尚之は『生成文法』という分野を研究している。
『生成文法』についてちょっと説明しておく。
(『生成文法』とは、米国のチョムスキーを中心とする言語学者によって唱道された言語理論。人間の言語能力の創造性を評価し、表現された形から入って、その奥深くに隠されている言語構造を理論的にとらえようとする。 変形文法。)
教授時代の赤楚尚之の授業は学生から人気だったよう。
赤楚衛二が参加していた中京テレビ『サタメン!!!』の春ボーイズのメンバーが、赤楚衛二の自宅に抜き打ちで家庭訪問するという企画があった。
春ボーイズのメンバーが名古屋学院大学の学生で、当時赤楚尚之教授の授業に出席していて、凄く人気がある事を熱く語っていた。
大学でのエピソードを聞いていたメンバー達は「こんな父親がいたら良いなあ」と羨ましがっていたが、当時18歳で高校生だった赤楚衛二はピンと来ていないようだった。
その後、赤楚衛二も同大学に入学。
しかし大学二年生の時に東京の芸能事務所に所属し、芸能活動を真剣に進める為大学を中退した。
赤楚衛二と父親のエピソードについて
出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/
赤楚衛二と父親赤楚尚之とのエピソードをいくつか見ていこう。
勉強に厳しくスパルタ教育だったが、芸能界入りは応援してくれた
父親である赤楚尚之は言語学を研究していた影響で、彼が2、3歳のころ、海外の学会に連れられていったこともあるそう。
そんな父は勉強には厳しく、それゆえか小さい頃はリビングにもあまり出てこなく、自室にこもっている時間が長かったとのこと。
小さい頃は外に出て遊ぶ子も多いが、彼はそういうことはできなかったようだ。
また父親だけでなく母親もスパルタ教育であったため、本当にやりたいことを我慢していた時期もあったとのこと。
僕は本当にやりたいことにふたをし続けていた時期がありました。でも弟は「やりたいことをやるんだ」と突き抜けていた感じだったので、そういう弟がちょっとうらやましくもありました。
幼少期から、自分の意志を尊重できないと人格形成も影響が出そうだな。弟はやりたいことやれてるから、なんで自分だけ我慢しなきゃいけないんだ?ってなりそうだし。
小学生の頃は、夏休みになると親戚の家に行ってゲームをやることが多かったそうだが、ずっとゲームをやっていると父親に『宿題をやりなさい!』と怒られ、宿題を溜めさせることもさせなかったとのこと。
夏休みは遊びまくり、終わる直前になって「あ、そういえば宿題忘れていた!」となった子も多いんじゃないか?
赤楚衛二はそういうことはなく計画的に宿題を終わらせていたことが容易に想像がつくな。
更に父親は英語には特に厳しく、「課題が終わるまで遊びに行っては駄目」と言われ、赤楚衛二はいつも頑張っていたそう。
その結果、赤楚衛二は高校1年生の頃、高校卒業レベルの所まで勉強を進めていたとか。
出典:https://www.fujitv-view.jp/
そんな父親は自分と同じ言語学の教師になる事を望んでいたのだと思うと語っていた。
10代の頃、名古屋でモデルやタレントとして活動する赤楚衛二に、父親が「将来どうするんだ?」とちょくちょく尋ねていたそう。
また、2020年8月10日の『WHAT’s IN?』のインタビューによると、赤楚衛二は高校~大学1年の頃は役者になる道を半ば諦めかけていたとか。
しかし2013年、19歳で『サマンサタバサ』のメンズモデルオーディションにおいてグランプリを受賞し、東京への足がガリを掴んだ時、大学を中退して「東京に行きたい」と申し出ると父親は反対しなかったそう。
「お前がやりたいことを見つけたら、それでいい」と父親に認めてもらって、迷いを乗り越えられたという。
もしかしたら、赤楚衛二は非常に優等生キャラだったのかもしれない。やりたいことに蓋をしてきた時期があると語っていることから。親の言う通ことに反論もせず素直に従ってきたのだろう。故にあまり意志を主張するタイプではなかったのかもしれん。
だから、親としては意志を主張してくれたことが嬉しかった。それにやりたいことを我慢させていたことも悪く思っていたのかもしれない。だからこそ赤楚衛二の芸能界の挑戦を反対せず応援したのかもしれないな。
しかし、折角自分のいる大学に入学したのに辞めてしまった事を父親は残念に思っていたようで、インタビューで「最近、父が『子供は思ったように育たない』と笑っていました」と赤楚衛二が語っていた。
週末は人気者
知らない役者さんだけど、お父さんが言語学者で、こんなキラキラした子どもが誕生するなんて…。びっくり。 pic.twitter.com/LjPRzYXKPO
— ノルウェー夢ネット (@norwayyumenet) December 1, 2017
「平日は怖いけど、週末は人気者の父」と2017年12月1日の朝日新聞に、赤楚衛二がインタビューで語っている。
記事では、父親の赤楚尚之は週末は公園でキャッチボールをしたり、仮面ライダーごっこやウルトラマンごっこにも付き合ってくれたそう。
また、友達が遊びに来た時はプールや銭湯にも連れて行ってくれ、面白いギャグを言って人気の父親だったと語っている。
平日の父親の姿からは想像もできない変貌ぶりであるな笑
こういう息抜きの時間もあったから良かったのだろう。平日同様、休日も勉強、勉強とさせられたら、ストレスがたまるし、やりたいこともできない。
ただでさえやりたいことを我慢していた時期があったと語っているのだから、こういう息抜きの時間がなければ、もっと卑屈な性格になっていただろう。
映画が好きで月に1回は家族で鑑賞
出典:https://www.cinematoday.jp/
赤楚衛二の家庭では、月に1回は家族で映画を観るという習慣があったそう。
「その時から映画の仕事じゃないけど、映画の世界に入ってみたい気持ちがあったんです。それを行動して、というのが多分20歳ぐらいになってから」
SFやコメディなど、ジャンルは色々だったそうで、その事から、映画の仕事や映画の世界に興味を持ったと話している。
父親が映画が好きだった為、俳優の仕事に反対しなかったのではないかとも語っていた。
吉川晃司の大ファンで共演時には現場の場所を教えて欲しいと懇願される
赤楚衛二は父親赤楚尚之は吉川晃司のファンだそう。
赤楚衛二が子供の頃、よく一緒にライブDVDを観ていたのだとか。
2020年6月23日放送『探偵・由利麟太郎』第2話で赤楚衛二が青年実業家役で吉川晃司と共演を果たした際は、父親もとても喜んでいたそう。
2020年6月22日のインタビューでは「共演することを父に報告したら、『撮影現場の場所教えてくれ』と言われました。さすがに父親を連れてはいけないのでダメだと断りましたけど。『じゃあテレビで見るわ』と、不満そうにしていました(笑)。」と語っていた。
父親も自分の好きな吉川晃司と息子が共演したことを誇りに思っているのでは?
パニック時には一目散に逃げる
小学校低学年の頃、夜に赤楚衛二、父親、弟でカブトムシを取りに行った時のことだ。
「カブトムシって中々見つからないんです。森の深い所まで行っても一匹も見つからず、、、父が「取れへんなぁ。帰ろかぁ。」と言ったその時!!!!!」近くで「ブォーーーー!!!ブォーーーー!!」と何かの鳴き声がしました!!!」と言い、「赤楚家男児は大パニック!一斉に車に逃げました!!!」と明かした。
「そりゃ一番早いのがおとんで 遅いのが弟 父の足の速さに泣きそうになり、弟の足の遅さに安心を覚えた、安心と恐怖が僕の心で渦巻いてました。」
パニックになると子供を差し置いて一目散に逃げる父親だったようだ。
ちなみに、気になる鳴き声の正体はウシガエルだったらしいです。
実家が山なのでわかるが、ウシガエルの鳴き声は大きいから、急に鳴き声がしたら泥きパニックになり一目散に逃げたくなる気持ちはわかる。
しかし、父親なら子供も連れて逃げて欲しかったと思ってもしまう笑
赤楚衛二は父親と目元や口元がそっくり
赤楚衛二と父親は似ているのか。
画像を並べてみるととてもよく似ていることが分かる。
とくに、目元口元がそっくりである。
赤楚衛二が年を取ったらそのまま父親と同じようになるのではないだろうか。
赤楚衛二の母親・赤楚早苗はピアノの先生
赤楚衛二の母親の名前は、赤楚早苗(あかそさなえ)。
母親は金城学院大学を卒業後、ピアノの先生をしていた。
金城学院大学って名古屋の女子大御三家の1つだな。赤楚衛二の育ちの良さは母親がお嬢様育ちというのも関係がありそうだな。
母親の影響もあり、赤楚衛二も幼い頃からピアノを教わっており、現在も特技としてピアノを挙げている。
父親、母親共に教育熱心な両親だったようだ。
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