中国の易学から独自の研究で編み出したとされる『六星占術』の創始者である細木数子(享年83歳)。
1982年に『六星占術』に関する本を出版し、1985年に出した『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなり、以降『六星占術』に関する著作を次々に発表、『六星占術』ブームを巻き起こし人気占い師となる。
そんな細木数子の現在について検証していく。
目次
細木数子は現在は永眠!死因は呼吸不全で2021年11月8日に83歳で逝去
まだまだ元気だろうと思っていた細木数子だが、2021年11月8日に亡くなっていたことが娘の細木かおりのインスタグラムの投稿により明らかになった。
かおりさんは「母・細木数子が呼吸不全で8日に満83歳で永眠しました。突然のことでした」とツーショット写真を添えて報告。
「数日前には鰻が食べたいと言って、美味しそうに食べていたのに。ケーキを持って帰ると喜んでいたから、母の分のクリスマスケーキも予約していたのに」と予期せぬ別れを嘆いた。
引用:https://www.chunichi.co.jp/
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細木数子は生前「昔から病院で逝くのは絶対に嫌だっ!」と話していたようで、「その通り大病することなく自宅で過ごせたし、希望通り家族が見守るなか自宅で最期を迎えたことは良かったのかなと思います」と、最期の瞬間について明かした。
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
ちなみに細木数子の死因である呼吸不全とは一つの疾患ではなく、原因となる様々な疾患のために呼吸器機能が低下した結果、 血液中の酸素濃度が危険なほど低下したり、または二酸化炭素濃度が危険なほど上昇し、十分な酸素を 臓器に送れなくなった状態をいう。
簡単に言えば、肺から酸素を送り出せないことにより老衰のような形で亡くなるということだ。
実は現在の姿が痩せすぎて心配と言った病気を疑っていた声があった
出典:https://www.sponichi.co.jp/
2019年で81歳の細木数子。
10年以上前にテレビ出演されていた時は、ふくよかで豊かな印象だった。
しかし、2019年にはかなり痩せていて、以前と比べて一回りも違うなどと言われていた。
出版している六星占術による霊合星人の本の表紙は、細木数子自身の写真を使用している。
本を手に取った人や、開運カレンダーを購入した人は細木数子の痩せた姿に「テレビに出てた頃と変わらない立ち姿だけど、すごい痩せた」と驚くほど。
細木数子がテレビ出演を控えたことに対し、世間では認知症や他の病気について噂が囁かれた。
なぜそういった噂が出るかというと、一番影響が大きいと思われるのは細木数子が急激に痩せたことだろう。
「病気じゃないか」と疑われるほど体型が変わっているが、特に病気についての発表はなかった。
また、細木数子は不定期に勉強会を開くこともあった。
認知症についても、実際に疑われる症状があったという情報はない。
近年体調を崩すことが多くなってきた細木数子は、手を震わせて杖をつく姿の目撃も。
2019年で81歳とかなり高齢なので不思議ではないことだが、以前のような厳しい雰囲気はなく、穏やかな表情になったとも言われていた。
近年『細木数子TV』というインターネット動画を配信していた細木数子。
お試しの動画を視聴してみると体型こそ変わったが、しゃきっと立ち上がり、淀みなく会話をしており、「昔と変わらない、元気な姿を見れて良かった」と感想が寄せられていた。
動画中、細木数子が小刻みに震えていたことも病気を疑われた一因。
しかし、この震えは高齢になると筋肉を動かす神経のバランスが悪くなって、震えが出やすくなる 『老人性振戦』と見られ、何かの病気が原因となっている訳ではないだろう。
細木数子は80歳を迎えたタイミングで引退した。
そして引退後の『激やせ!』『ガン疑惑』の真相について細木かおりはこのように語っている。
「スケジュールに追われる生活から解放され、引退してからはゆっくりと自分の好きなことをしながら過ごしています。以前『このままだと糖尿病になる恐れがある』と忠告を受け、無理のない減量に成功し私たちも喜んでいました。
どうやら、激痩せの真相は健康を考えての減量であったようだ。
たしかに太っているより痩せている方が健康的なのはいうまでもないが、元がふくよかだっただけにあらぬ誤解を招いてしまったようだ。
2018年ごろから京都で死に支度をしていた!
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細木数子は2014年秋頃から自身の勉強会で、「私の寿命はあと5年。もう死に支度を始めているのよ」と言うようになったそう。
ライフワークだったその勉強会も2017年7月で終了し、HPも「定期開催は終了しました」となっていた。
細木数子は東京・神楽坂と京都に家を持っている。
2016年に完成した東京の4階建ての家は土地だけで2億3千万円ほど、上物も合わせると3億5千万円という大豪邸で、そのあまりの大きさから、この界隈では『マンションじゃないの?』などと噂されていたようだ。
しかしそこは細木数子の自宅兼事務所だった。
細木数子の事務所の人が、『年明けから、細木先生の姪の一家もいっしょに生活しますから』と言っており、毎朝高校生くらいの男の子と、中学生ぐらいの女の子が制服を着て出かけていくと近隣住民は語る。
細木数子は姪の子供達を自分の『孫』同然に可愛がっており、神楽坂に建てた大豪邸は彼らと暮らすためのものだったようだ。
そして細木数子は京都にある大きな邸宅のその裏に、建設費70億円とも言われる巨大寺院を建てた。
場所は京都府京都市右京区梅ケ畑猪ノ尻町。
細木数子は「後世に残る建物を造りたい」という想いで、恩師である思想家、安岡正範の菩提寺の建設に踏み切ったと週刊誌やテレビでも報じられている。
実は巨大寺院を建てる前、2012年に元々料亭だった建物を買い取って、同じ嵯峨野に『洸明寺』というお寺も造ったと『六星新聞水色の会』第40号に掲載されていた。
洸明寺は家族がおらず亡くなったとき無縁仏になってしまう方のために、永代供養をする目的のお寺。
「細木数子が引退告白!宗教法人を5千万円で買収、その狙いは」https://t.co/Hobzeed0m4 記事の中で出てくるK寺というのは、おそらく洸明寺だと思います。2012年の『六星新聞水色の会』第40号に建立したとあります。 pic.twitter.com/EnY6QVup9d
— 本城達也 (@honjo_tatsuya) March 5, 2016
そして2018年9月頃には、巨大寺院の隣に細木数子の自宅を新しく建てた。
元々ある家は大き過ぎるため、小さく建て直したという新しい自宅は「死に支度をしている」と細木数子自身が発言した通り、終の棲家ということか。
細木数子は東京の大豪邸で養女の細木かおり家族と一緒に住んでいたが、その家と仕事を娘に譲り、巨大寺院の側で穏やかに暮らしていくつもりなのではないかと推測された。
しかし、近隣住民によるとその『終の棲家』でひそかに異変が起きていたという。
「以前は頻繁にこちらへいらしていました。いつも高級車に乗ってくるので、すぐわかるんです。近所でもよく犬の散歩をされていました。しかし夏前から、ぱったり姿を見せなくなりました。聞いたところによると体調を崩されているそうで……。だからせっかく新しくできたご自宅も、空き家状態。みんな、心配しています」
2017年11月に雑誌記者が都内の自宅周辺で目撃した際も、細木数子は杖を使って歩いていたという。
やはりその体調が心配されていた。
細木数子の晩年の仕事の収入源は「勉強会」と執筆活動と「水色の会」の会費
2008年3月以降、すべてのレギュラー番組を降板表舞台から姿を消した細木数子。
以前は『視聴率女王』などと持てはやされており、テレビを舞台として大活躍していた細木数子の収入源とは。
当時細木数子はテレビ出演で高額なギャラを得ており、「私は東京で1時間400万円のギャラなんです」と、2004年10月7日号の週間文春での本人の談によれば、1本で400万のギャラだったそう。
レギュラー番組もいくつも抱えており、特番ともなればさらにギャラは跳ね上がるそうで、レギュラーの数や出演本数を単純計算すると、テレビ出演だけで年間4億円の収入を得ていたと推測される。
しかし、細木数子にとってテレビ出演はあくまで副業。
細木数子は自身の占い本『六星占術』の著書をいくつも発売しており、その印税が年間約2億円入るという。
細木数子の占い本は『占い本発行部数世界一』のギネス記録に認定されたそうで、累計9000万部以上も販売されている。
平成18年のデータでは、この書籍の印税だけで年間4億円ほどの収入があったそうだ。
六星占術の『開運歴カレンダー』なども販売していた。
また細木数子は占いの携帯サイトを運営している。
この携帯サイトは有料会員を月額300円で募っていて、会員数は無料会員有料会員含め100万以上存在すると言われており、これだけで年間12億円の収入が細木数子の元に転がり込んでくる。
このサイトの有料会員になると、細木数子の無料鑑定が受けられたり(ネット上で)、様々な特典が得られるよう。
また自身のホームページでグッズを販売したり、会員制インターネット番組『細木数子TV』を放送したりしている。
さらには『水色の会』という会員制の『六星占術』の新聞を発行しており、その会費は3年間で9,000円という価格。
この新聞を購読することで、細木数子の現在の様子が分かり、京都での新年会に参加出来、会員制インターネットTV『細木数子TV』を視聴する事が出来るなどの特典がある。
その他、細木数子の収入源は多岐に渡る。
- 占い・個人鑑定 1回10万
- 講演会 参加費4000円
- 家の方位占い・会社の命名 1回100万円
- 勉強会 1回1万
- 墓石や仏壇の販売 (売る相手によって値段を変える)
これらを全て合わせると、年間4億円の収入になると推測されている。
細木数子の年収は全て合計すると、24億円にもなるという。
ただこれらはまだ細木数子がテレビで活躍していた時の話で、テレビ出演を辞めた頃には出演料4億円の収入は得ていない。
また勉強会は主に、 ホテル京阪 京都 グランデか、日本出版クラブ会館で行われるよう。
どちらも会場は最大100人くらい収容できるらしく、細木数子の勉強会が毎回満員なら100人が参加することになり、1回の勉強会で100万の売り上げが立つことになる。
1時間400万の高額ギャラを得られるテレビの仕事がなくなっても、他のビジネスによって年間20億円くらいの年収は維持されていたようだ。
細木数子の占いは現在は娘・細木かおりに継承!
『細木数子』の継承者となる覚悟と決意を、娘の細木かおりが『婦人画報』のインタビューで語っている。
結婚して3人の子供の出産と育児を経験し、主婦としての幸せを感じていた細木かおりが、正式に細木数子の『継承者』として打診されたのは10年ほど前のこと。
それ以前からそれとなくほのめかされていたが、改めて決意を伝えられたそう。
「細木数子の跡を継ぐなんて、そりゃイヤですよ」と、細木かおりは苦笑しながら当時を振り返る。
「小さい頃から占いの基礎的なことは聞かされてはいたものの、鑑定をするなんて、とても出来る気がしなかった。そして何よりも、母が経験してきたような激しいバッシングを、今のようなネット社会で受けることにも不安を感じていた」として無理だと断わったそう。
「母は常々80歳になる2019年に、表舞台から身を引きたいと話していて、私が継承しなければ、一生かけて取り組んできたこの占術も、もう終わりにすると言うようになっていた」と、細木数子は自分が引退することを決めていたようだ。
まずはマネージャー的な役割だけでもと頼まれ、細木かおりは細木数子の勉強会の準備や衣装の管理、スタイリングなどを行うようになり、やがて、鑑定室での付き添いも命じられる。
細木数子の『鑑定室』は、それまで相談者以外は誰も入れなかった神聖な場所。
相談者の悩 みを全身全霊で受け止めつつ、守秘義務を固く守らねばならない仕事の最前線。
その命に、細木数子の真剣さを感じ、「もうあとには引けない」と観念した細木かおり。
同時に、悩みを抱えた人だけが訪れる鑑定室に身を置いたとき、 悩んでいる人の話を受け止めて鑑定することの厳しさ、心身の負担の大きさに気づき、母である細木数子を休ませてあげたいという気持ちにもなったという。
「鑑定料が高額だと言う人もあったが、あの仕事の心身の疲労度、献身度を考えると見合ったものだと思った。相談に来ても聞く耳をもたない人には、鑑定料を返して帰ってもらったり、家庭の貧窮ぶりを聞いて返している母の姿もたびたび見た。」と、当時の細木数子の仕事ぶりを見てきた細木かおり。
「母は相談に来た方が家族仲良く、少しでも前向きな気持ちになってほしい、よき人生を歩んでほしいという思いで鑑定をしているだけ」と、細木数子の鑑定によって、相談に来た人が晴れ晴れとした顔でお礼を言い帰る姿を見る内に、細木かおりにも心境の変化が起こる。
これほど信頼を受け、喜ばれている六星占術の継承を断ったら、細木数子が情熱を注いで積み上げてきたものが途絶えてしまう。
イヤだという気持ちに任せて、このまま終わらせていいのかという気持ちが大きくなり、細木かおりは35歳の時に数子の願いを聞き入れ、後継者になる決心をした。
以来細木かおりは細木数子と常に行動をともにして、それまで以上に真摯に学び、2016年8月18日に、数子、かおりとその家族全員、よい運気が重なるこの日に正式に引き継ぎを完了した。
「今考えれば、19歳で結婚したり、30歳の時に後継者の打診があったり、35歳でアシスタントを務めたり、万事が良い方向に進むよう、六星占術で進めていたのかもしれない。もちろん、80歳での自身の引退も、随分前から計画的に進めていたよう。まさに『やられた!』 という感じ」と、細木数子の計画に上手く乗せられた事を観念したようだ。
細木数子が2008年3月から表舞台から引退した理由について
細木数子は2008年3月に引退したが、理由についておさらしていこう。
TVでは「本業に集中したい」と「充電期間が欲しいと説明」
細木数子は2008年3月をもって、「テレビの仕事の充電期間を設けたい」「本業の仕事に専念する」という理由でレギュラー番組出演を終了し、これ以降はほとんどテレビ番組に出演することが無くなった。
カンニン竹山との対談では「テレビでの自由な発言が窮屈になり始めた」と明かす
カンニング竹山(51歳)が細木数子にテレビに出なくなった理由を聞いていた動画がある。
テレビでの自由な発言が窮屈になり始めたことから、出演を控えるようになったと発言している。
『ピー』が入っているが、プロデューサーの名前も出していることから、かなり面倒なことがあったようだ。
確かに、細木数子は正論ばかり言うので、例えば政治的な発言やスポンサー企業のマイナスになる発言などプロデューサーからしてみたらヒヤヒヤするだろう。
その中で、細木数子の筋の通った発言はテレビ的にNGな部分もあったのかもしれない。
そうして2007年あたりを境に、細木はテレビでの活動を控えるようになった。
実際には黒い噂が原因という見方も
細木数子をテレビから「消した」一冊「魔女の履歴書」 https://t.co/5ND1ZAK4GI
広域暴力団の組長と親しく交際して、暴力団員を使ってジャーナリストに圧力をかける
こんな人間にゴールデンタイムのレギュラー番組を持たせていたテレビ pic.twitter.com/zjgRDWoawN— 野田草履P (@nodasori2525) June 8, 2017
2008年にテレビ番組を全降板し、それ以降は数えられるほどしか公に姿を見せていなかった細木数子。
細木数子自身は「本業に専念する」「(テレビ出演の)充電期間を設ける」ためと説明してたが、それ以外にも何かしら問題があったのではないかと見られる。
テレビ出演全盛期の頃にも、週刊誌で暴力団との関係がたびたび報じられた細木数子。
その内の一つ、細木数子に関する本『魔女の履歴書』の掲載に関連し、暴力団関係者をつかって作者の溝口敦(79歳)に圧力をかけてきたというもの。
出典:https://lizune.hatenablog.com/
そもそも『魔女の履歴書』は細木数子を女ヤクザと称し、両者の深い関わり合いが描かれたノンフィクション本。
つまり細木数子がテレビから消えた理由の第一にあげられるのが、この暴力団との関係だろう。
当時を知る芸能記者が細木数子が番組を降板した理由を語っている。
2008年に本業に専念したいという表向きの理由で全番組を降板し、テレビ界から去った細木数子だが、実際は追放されたといった方が分かりやすいというのだ。
2006年から週刊現代で細木数子の数々の悪行や怪しい人脈との関係を暴露する連載が始まり、それらの影響で局やスポンサーにクレームが入り、番組側が起用をやめたというのだ。
近年は反社会的勢力やコンプライアンスなどに世論が厳しくなっている。
歯に衣着せぬ物言いや黒い噂が、世間から受け入れられなくなってきたことが、細木数子が表舞台から身を引こうとした原因なのかもしれない。
現在振り返る、細木数子の当たった占いと外れた占いについて
出典:https://ameblo.jp/hajimehitosi-1812/
その人を正そうと思ったことをズバズバ言う人間味あふれる細木数子だが、本業は占い師。
ここでは、今だからこそわかる細木数子の当たった占いと外れた占いをまとめた。
【的中した占い】
- 女優の広末涼子(41歳)の結婚を、2003年10月に放送された『細木数子VSウンナン』で予言して的中。
- 2004年に西武の優勝を的中(このとき、プロ野球の優勝予想を的中させたのは数回目となった)。
- 2005年にプロゴルファーの横峯さくら(36歳)の活躍を的中。
- 2007年にお笑いコンビ『スピードワゴン』の井戸田潤(49歳)と女優の安達祐実(40歳)の離婚を予言し、2年後に的中。
- AKB48の人気の前に放送作家の秋元康(63歳)に「これから10年、巨万の富を稼ぐ」と予言して的中。
出典:https://tanteifile.com/index.html
【外れてしまった占い】
- 見栄晴(55歳)に「お前なんか結婚出来るわけない」と言った数週間後に結婚会見。(細木数子がこれまでに「結婚出来ない」と断じてきた出川哲朗、渡辺満里奈、セイン・カミュ、神田うのなどはその予言に反してことごとく結婚した。)
- 当時サッカー日本代表監督のジーコ(69歳)について「2004年はダメ。解任になる」と言った後、2004年アジアカップ優勝、2006年の契約満期まで続投となる。
- 中日ドラゴンズ「今年(2006年)の優勝はないね」と占ったが、6月から1度も首位を明け渡さずに優勝。
- 当時ライブドア社長の堀江貴文(49歳)を「あんたの背中には龍がついてるよ」と絶賛していたが、その23日後に証券取引法違反の疑いで逮捕。
- 当時細木数子が可愛がっていた横綱の朝青龍(41歳)に「将来、相撲協会の理事長になる」と言うが、泥酔暴行事件で相撲協会を追われることに。
- おさる (53歳)に「『モンキッキー』に改名したら1~2年で冠番組を持てる」と占うも、8年間冠番組を持てず、元の「おさる」に戻す。
- お笑いコンビ『くりぃむしちゅー』 の芸名を「『グリーン&ピンク』にしたほうが売れる」と占うも、当人達は改名を拒否し今なお売れ続けている。
- 元プロ野球選手の中村紀洋(48歳)を 「5~6年後に自殺する」と占うも現在も存命。(改名の次に多く披露していたのが死亡予告。劇団ひとりには「心臓病で40歳までに死ぬ」、杉浦太陽には「30歳で自殺する」、ドン小西には「へその上に手遅れに近いガンがある」などと余命と難病を宣告していた。)
- 元歌手の田代まさし (65歳)には「あんた、これからどんどん良くなるよ」と占うも、その後も覚せい剤所持などで逮捕され、ついには芸能界追放状態に追い込まれた。
出典:https://www.sponichi.co.jp/
多くの占いや予言を的中させていた一方で、外してしまった予言も多数ある細木数子。
予言とは一つでも的中させる確率は低いため、テレビなどで多くの占いや予言をしたばかりに外れた占いが際立った印象が。
細木数子は元々『当たる占い師』としても有名になったが、思ったことをズバズバ言って生き方を正す助言やアドバイスを行ってきた。
人生相談のプロでありながら、六星占術を学んで占いも出来たことが細木数子の魅力なのではないだろうか。
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