上岡龍太郎の息子(小林聖太郎監督)が急死は勘違い!画像あり

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上岡龍太郎さんは元漫才師、タレント、司会者であります。

落語立川流の門下でもあり、上岡劇団の座長も務めました。

多くの番組のMCを務め、元祖イケメン司会者として活躍。

公約通り2000年に引退しました。

そんな上岡龍太郎さんの息子の小林聖太郎さん及び甥っ子&弟子について迫っていきます!

上岡龍太郎の息子・小林聖太郎は映画監督だけど急死?→交通事故で急死の弟子と勘違い説!画像あり

 

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#上岡龍太郎 #芸人

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上岡龍太郎さんが引退されてからすでに19年も経っていますが、ここにきて上岡龍太郎さんの名前が再び取り上げられる出来事がありました。

それは、上岡龍太郎さんの息子・小林聖太郎さんが亡くなったというニュースでした。

小林聖太郎さんについて簡単にご紹介しますと、小林聖太郎さんは1998年、劇映画の助監督として活動し始め、様々な監督の下でたくさんの経験と技術を学んできました。

そして2006年、大阪・十三の映画館第七藝術劇場の復活記念DV作品「かぞくのひけつ」で劇場公開作でデビューしました。

この作品では新人監督賞、第47回日本映画監督協会新人賞を受賞。

才能が開花したのです。

それでは、小林聖太郎さん監督作品について更に詳しく見て行きましょう。

2011年「毎日かあさん」

出典:https://tower.jp/

こちらは元夫婦の小泉今日子さんと永瀬正敏さんが共演した作品で、当時は話題になりました。

元夫婦なので芸能ネタにされてしまうリスクはあると思ったようです。

ただ小林聖太郎さんは2人が「毎日かあさん」のホンのキャラクターにはまると思ったこと。また夫婦だったことも現場でいい結果につながるかもしれないと思ったことでキャスティングをお願いしたようです。

話題性を集めることも映画を公開するなら大事なことです。

2015年「マエストロ!」

出典:https://eiga.com/

この作品は、バラバラになったオーケストラの復活を描いた物語です。

小林聖太郎さんご自身はクラッシックに関しては全く関わってこなかったそうですが、新しい分野で力試しをしたかったのかもしれません。

ある意味、まっさらな状態だからこそ、キャンパスに好きな色をつけていけたのかもしれません。

音楽絡みの映画に助監督として就く機会が多かったこともあり、いつかは自分も、という想いを持っていました。

企画成立まで二年余り時間がかかったことが幸いして、音楽の上野耕治さんからクラシック音楽史や理論の講義を受けたり、プロからアマまでオーケストラのリハや本番を見学したり、指揮者や演奏者の方々に取材を重ねたり、と「付け焼き刃」が分厚くなっていきました。

引用:http://mikiki.tokyo.jp/

ちなみに監督作品を列挙すると次の通りになります。

かぞくのひけつ(2006年)
美しき天然(オムニバス短編『にほんのうた』の中の一本)(2010年)
毎日かあさん(2011年)
マエストロ!(2015年)
破門 ふたりのヤクビョーガミ(2017年)
初恋~お父さん、チビがいなくなりました(2019年)

そんな映画監督として順調に歩んでいた小林聖太郎さんに、ある日突然急死したというニュースが流れました。

ですが蓋を開ければそれは全くのデマ。

ただ、それにはこんな背景がありました。

それは、上岡龍太郎さんの弟子・大空テントさんが、事故で急死されたことでした。

お弟子さんの死がいつの間にか小林聖太郎さんに変わっていたのです。

 

上岡龍太郎の息子・小林聖太郎に西田敏行は2度も殺意を抱く

出典:https://cinema.ne.jp/

西田敏行さんが上岡龍太郎さんの息子・小林聖太郎さん監督の映画「マエストロ」の舞台挨拶での一コマ。

こんな文句を小林聖太郎さんに発しました。

外見やしゃべり方は「本人は意識してないんだろうけど、やっぱり親子ですよ。隠せない」と二代目局長も驚くほど激似。ただ、劇中で話す大阪弁指導を監督直々に受けたときは、「厳しかった。2回ほど殺意を抱きました」と笑わせた。

引用:https://www.sanspo.com/

西田敏行さんが出演している「探偵!ナイトスクープ」の初代局長が、小林聖太郎さんのお父様・上岡龍太郎さんだったことから出た冗談(本気?)です。

 

上岡龍太郎と息子・小林聖太郎の仲は?→息子の映画をPRするほど関係は良好


上岡龍太郎さんは息子の小林聖太郎さんが監督した映画「マエストロ!」についても「44回見ました」と発言。

息子さんからは「監督より見てる」と言われたとか。

やはり上岡龍太郎さんも一人の親だったということです。

 

上岡龍太郎の息子・小林聖太郎は映画監督の前は取材や執筆に関わっていた


上岡龍太郎さんの息子・小林聖太郎さんは映画監督になる前は、ジャーナリスト・今井一さんの助手を務めていました。

「阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか」

「大事なことは国民投票で決めよう」

などの取材や執筆にも関わりました。

そして1996年に今井一さんの知人のドキュメンタリー映画監督の原一男さんが主宰する「CINEMA塾」第1期生として参加しました。

この時から小林聖太郎さんは映画監督になろうと漠然と思っていたのかもしれません。

「CINEMA塾」に参加したことで、映画監督への想いを確認し地盤を築いていたのではないでしょうか。

 

上岡龍太郎の甥っ子ミキは甥と明かさず芸能活動を続けていた!

今、人気急上昇中の漫才コンビ「ミキ」が、あの上岡龍太郎さんの甥っ子だったことを知っている人は少ないのではないでしょうか?

個人的にもびっくりしてしまいました。

とは言え、若い方から見たら、逆に上岡龍太郎って誰?かもしれません。

ミキは2012年兄弟でコンビを結成。

2015年には「M-1グランプリ」準々決勝戦出場、2016年には「第46回NHK上方漫才コンテスト」で優勝など、人気、実力も兼ね備えた今注目の漫才コンビです。

ある日の番組で、司会者から「ミキはおじさんがすごいんだって?」と振られ、「おじさんが上岡龍太郎さんです」と告白すると、スタジオ中がどよめきました。

ただ、会ったことは小さい頃に数回だけだとも告白。

子供のころ、祖母の家に行った時に「何か見たことあるわ、このおっちゃん」と思っていたといい、ある日、テレビで「探偵!ナイトスクープ」を見た時、局長を見て「この人や!この人、めっちゃ家来るわ!」と初めて、上岡だと分かったという。

引用:https://www.daily.co.jp/

ミキの二人はこれまでずっと、上岡龍太郎さんの甥っ子ということは公表せずに活動してきました。

きっと、色眼鏡で見られたくなかったのだと思いますし、七光り的なことも言われたくなかったのだと思います。

やはり、バッググラウンドなしで実力で勝負したいですよね。

 

上岡龍太郎の弟子について

出典:https://www.iza.ne.jp/

ここまで上岡龍太郎さんの息子・小林聖太郎さん、甥っ子のミキさんのお話しをしてきました。

では、上岡龍太郎さんのお弟子さんについて触れてみたいと思います。

 

ぜんじろう

出典:https://matome-entame.info/

関西などでは知名度もあるぜんじろうさん。

1992年10月放送の「テレビのツボ」に出演したことで、一躍有名になりました。

ぜんじろうさんはアメリカでコメディアンとして活動した時期もあり、世界中を回ってライブ活動をしています。

テレビで活躍する様子も見たいですが、ぜんじろうさんの目指すお笑いは違うようですね。

 

交通事故で急死の大空テント

出典:https://motlife.net/

先ほど、少し触れましたが、上岡龍太郎さんの弟子・大空テントさんは、2016年9月27日交通事故で急死しました。

めったに姿を見られないことから”ツチノコ芸人”とまで呼ばれていましたので、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれません。

テントさんは横断歩道を渡っていただけで、走ってきた車にはねられたという、何とも悔しい最期となりました。

テントさんについて簡単に紹介させて頂きます。

テントさんは大阪府八尾市出身です。元々は大空テントさんとして幸つくるさんとともに漫才コンビを組み、1981(昭和56)年の第12回NHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞しています。

その後は芸能界を引退した上岡龍太郎さんに弟子入りし、「テント」と改名して漫談に転向した。上岡さんからは「出てくるのが10年早かった」などと絶賛され、自分をパチンコ台に見立てて手をぐるぐる回転させる“人間パチンコ”などの一風変わった芸で人気を集めました。

影が薄いようで強烈な個性もお持ちだった大空テントさん。

2002年にはCMで天海祐希さんと夫婦漫才師役で出ていたことを覚えている方もいらっしゃるでしょうか。

 

上岡龍太郎「さすがの私も言葉がございません。」と憔悴

出典:https://www.oricon.co.jp/

上岡龍太郎さんが息子さんの小林聖太郎さんの初監督作品「かぞくのひけつ」の上映会に姿を見せた時のこと。

大空テントさんの急死について当然記者からはコメントを求められました。

テントさんはこの映画で劇中歌を歌っており、テントさんの“生歌唱”も放映されました。

客席から見守った上岡さんは、久々に愛弟子の姿を目にした感想を問うと「ん……」とだけ、口にした。

同じ弟子のぜんじろう(48)が「うらやましい」と話したほどテントさんをかわいがっていた上岡さんは、亡くなった実感について聞かれても、はっきりとした言葉は口にせず。

引用:https://www.nikkansports.com/

大空テントさんが亡くなった翌日に、上岡龍太郎さんへ取材陣が押しかけましたが、「上岡龍太郎さんは立ち話で済ますにはもったいない、通夜の日にお話しします」と答えました。

ですが、通夜の席でも上岡龍太郎さんは憔悴しきった様子で、「さすがの私も言葉がございません。最愛の弟子をなくした気持ちを汲み取っていただけるとありがたい」とだけ言い残しました。

報道陣も仕事とはいえ、やはり人の死に関わることはデリケートに扱ってほしいですね。

 

上岡龍太郎は彼を師と仰ぐ島田紳助の末路を予言していた!

出典:https://www.dailyshincho.jp/

島田紳助さんが電撃引退したのが2011年。

その原因となったは、暴力団幹部と肩を寄せ合う姿が週刊誌にスクープされたことでした。

このことを予言していたかのような番組があったのです。

それが島田紳助さんがレギュラー出演していた「EXテレビ」。

この番組で島田紳助さんが師と仰いだ上岡龍太郎さんが、”上岡流テレビ論”を語っていたのです。

テレビで我々の芸能は、やりにくなってくるんですよ。なんで芸人になったか言いましょか。みんなと一緒のことをやるのが嫌いなんです。そういう人間ておるんですよ。できるだけラクしたい。目立ちたい。ちやほやしてほしい。だいたいこういうとこなんです。芸人になってるやつの根の考えちゅうのは。

暴力団も一緒なんです。同じ考えでしょ。芸人と暴力団が癒着するな、というのがおかしな話でね。根は一緒のタイプなんですから。ちょっと子供のころから口が達者やったか、腕が達者やったかで、木(の枝)が分かれたわけで。

そやから、我々は棚からぼた餅、濡れ手でアワ、一攫千金、それが取れたときはエエけど、取れなんだら末路は哀れ極まりない。

もう、あとはのたれ死にすること覚悟の上、あかなんだら見事にどこで死んだかわからんような、そんな死に方をする。そのかわり、良かったときには、もう一攫千金、夢見るような、これが我々の世界。

引用:https://www.zakzak.co.jp/

だいぶ抜粋してご紹介しましたが、要はテレビに出ている側の人間が「一生気延命マジメにやりましょう」なんてバカなことを言いだしたら終わり。

芸能人だからお金一杯稼ぎたいっていうこともどこが悪いのか。

その代わり末路哀れは覚悟して、といったような内容です。

最後に上岡龍太郎さんは「テレビは我々お笑いの芸能界までも無残に買えてしまいましたね」と語っていました。

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