今回紹介させていただく人は、TBSのアナウンサーの小島慶子さんです。
1972年7月27日生まれ、現在46歳の小島慶子さん。
オーストラリアのパースで生まれ、7歳の時は父親の仕事の関係でシンガポール。
20代の頃は、『女子アナ』として見られることに抵抗があり、髪型をショートにして男っぽく見られるようにしていました。
そんな小島慶子さんの夫についてまとめてみました。
旦那さんについてみていきたいと思います。
旦那さんの年齢は非公開で、名前や画像などの資料もほとんどありませんでした。
一般人の人のようで、情報がほとんどない状況です。
顔はわかりませんが、旦那さんと写られている画像がありました。
顔はやはりスタンプでわかりませんね。
小島慶子さんよりもだいぶ大きな旦那さんみたいですが。
172㎝ある小島慶子さんよりも、背が大きいので180㎝はあるように感じます。
そして次は小島慶子さんの旦那さんが専業主夫になったことについて触れていきます。
住宅購入時の夫の発言説も
TBS「内村とザワつく夜」に小島慶子さんが出演した際のこと。
あるエピソードが紹介されました。
”いつか家を購入するため10年間、夫の実家で両親との同居を我慢した妻が、いざ家を買うと両親に報告したら反対され、夫が「お前がいいんなら、俺はココにおってもいい」と裏切った”
このエピソードに関して小島慶子さんは、色々な発言をしています。
ですから、小島慶子さんも家を購入する際に旦那さんと何か意見の違いがあったのかな?と邪推されました。
夫のせいで子供を虐待していたと思われていたことも関係ありか
小島慶子さんは30歳の時の長男を。
33歳の時の次男を出産されています。
ですが、可愛い我が子を虐待しているといった疑いがかけられたことがあったそうなんです。
次男が幼かった頃、車道の端っこでしゃがみこんで駄々をこね、地蔵のように動かなくなった。危ないので夫が抱え上げて横道に引き込み、説得を試みた。それを見ていた通りすがりの年配女性が、私のところに来て「虐待っ?」と眉を吊り上げたのだ。
自分は幼稚園の教諭をしていた、この頃の親はなっていない…云々。出会い頭に「虐待っ?」にも驚きだが、なぜ夫ではなく、私に言ったのだろう。そんなにご立派な先生なら、是非とも直接当人に教育的指導をしてほしいものだ。
虐待が問題化されている現代で、他人が虐待に敏感になっていることは大変いいことですが、何が何でもいっしょくたんに虐待と決めつけるのも問題です。
そして、小島慶子さんがおっしゃるように、子育ての責任は全て女親にあるといった考え方はもう古いです。
子供はパパの背中もしっかりと見ていますよ。
小島慶子は1人目の子供が産まれた時に産後クライシスになり夫と不仲になったことも
小島慶子さんは産後クライシスに陥ったことを告白しています。
産後クライシスとは、出産後から2 – 3年ほどの間に、夫婦仲が悪化するという現象を指し、2012年にNHKが提唱した用語です。
第一子の時に旦那さんが拗ねたようになり、次のように言われたということを明かしています。
「慶子は子どもが生まれてから瞳の中のキラキラしたものが消えた。僕に関心を持っていない。変わってしまった」
小さな赤ちゃんを抱いたまま、旦那さんを床に座らせて、夜中に次のように泣きながら説明したといいます。
「あなたはいつまで子どものつもりなのよ! (他界した)お父さんもお母さんも、もうあなたの面倒なんて見ないのよ! 2人でこの子を育てなくちゃいけないの。目を覚まして!」
これを言っている最中に、「これが愛だ」と言うことを実感したそうです。
子どもができたのでちょっとのことじゃ別れられません。
こんなにエネルギーを割いて、「変わって欲しい」って思うのは愛があるからこそと言うことです。
そしてその思いを旦那さんにも伝えたようです。
「これほどまでして説得するのが愛じゃなかったら何なのよ!」
その後、産後クライシスはおさまったようです。
夫が仕事を辞めて、小島慶子は男女のハイブリッドであることに気づいた!
小島慶子さんは旦那さんが仕事を辞めたことで、自分が男女のハイブリッドであることに気づいたことを記事にしています。
長いので抜粋してご紹介していきたいと思います。
自分が男と女のハイブリッドだと知ったのは、夫が仕事を辞めてからでした。
彼の人生の選択を尊重したいと思ったのに、やがてこんな思いが胸に湧き上がってきたのです。
「男なのに仕事を辞めるなんて」
「なんで女の私が大黒柱をしなくちゃならないの?」
自分は人を年収や肩書で計ったりしない人間だと思っていたのに、こんなに典型的な「男のくせに」「女なのに」に囚われていたなんて!
小島慶子さんはアナウンサーとして男社会で生き延びるために、戦略的に自己プロデュースをしてきたと自負してきました。
ですが、それが単なる過剰適応だったと語っています。
そして、男社会の抑圧を仕事辞めた旦那さんに強いてしまったと…。
「働かないやつは黙ってろ」
「誰のおかげで食えてるんだ」
そう思ってしまった自分に小島慶子さんは心底がっかりしたと言います。
自分が嫌悪してきた上から目線のオヤジたちと変わらないことに気づいたのです。
そして、小島慶子さんはこう思うようになりました。
男女の二項対立で考えるのはやめよう。これってつまり、人とお金と権力ではかる価値観と、そうでない価値観との相剋なんだ。それはどちらも私の中にあるもので、全然決着がついていないんだと。
ですが、個人的にはある意味小島慶子さんが羨ましくもあります。
だって、小島慶子さんに経済力があるから一家の大黒柱になれるわけで、普通に主婦をしてきた人がいきなり旦那さんの代わりになるほどの収入を稼ぐのって、とっても大変だと思うのです。
無職で専業主夫の夫に「あなたは仕事してないから」と口にした過去も
かつては小島慶子さん、旦那さんに言ってはいけない一言を言ってしまったようです。
いままでは旦那さんに腹を立てていたも、仕事はちゃんとやってるし、私の前だから油断しているだけ、と思うことが出来ていたそうです。
ですが感情を押し込む、押し入れみたいな場所がなくなってしまった。
だから、夫に「仕事をしていないからわからないでしょう」
「働くって大変なのよ」
とつい言ってしまうそうなんです。
旦那さんは小島さんより社会経験が長いにも関わらずです。
そういう風に言ってしまったり、振舞ってしまう自分にショックを受け、失望する日々を過ごしていました。
今では専業主夫を受け入れることができるように!
一方の夫はオーストラリア移住の最初の3年は毎日不安だった
小島慶子さんの夫はオーストラリアに来て、子どもを連れてきて新しい生活を始めるにあたって、子どもを不安にさせたくないと思ったと語っています。
こうした夫の話を聞き、小島慶子さんは「『俺、できるかな』とか不安に思わなかったの?」と問うと、次のように答えました。
「そう思う暇がなかった。もう毎日半泣き。学校から来るメールも読めない、先生の面談に行っても言っていることが分からない。英語から逃げ回ってきたのに、最後の最後で捕まったわけだからね」
また英語を勉強してもうまくならない自分に落ち込むこともありそんな時は「“今から弱い時間”“今から弱ります”って決めて、昼間に家のカーテンを全部閉めて真っ暗にして“今弱いですから”“すみません、弱いです”と何もしないでぼんやりして。子どもを迎えに行く時間になったら、切り替えたりしていた」と告白しています。
またこの告白を聞き、小島慶子さんも当時をこのように語っています。
「東京に1人でいる時、オーストラリアにいる夫は3人でいるけど、私はいつも1人。だから、“寂し死に”するかと思ったくらい、寂しかった」と孤独であったことを告白。
また小さい子供の世話の為、本当はオーストラリアに帰りたかったそうですが、仕事の関係でそれはできまなかったことも打ち明けています。。
2人で稼いでいたのが(夫の退職で)1人になって、1人の働ける時間も今までの半分になったら、単純計算で今までの4分の1の労働で一家を養わなければいけなかったから、すごく不安だった。私の不安もどうにかしてほしいっていう思いもあったから、『何で仕事辞めたの!?』とか、『本当にあなたが仕事を辞めたから、怖くてしょうがないんだけど』とか言っちゃったんだよね」と振り返った。
2にんとも孤独と闘っていたということですね。
「専業主夫になってもいい」若者は7割弱にも!
株式会社オーネットが2009年に実施したアンケートに驚きの結果が出されました。
男が専業主夫でも構わないと思う人のパーセンテージが、20代で62%、30代で69%だったのです。
イマドキの若い男性は、専業主夫に偏見がなく、抵抗もないようです。
それだけ柔軟な考えを持っているのですね。
また、厚生労働省のデータでは「妻の扶養に入っている男性」の実数は年々伸びていることが分かっています。
それもかなりのペースで増えてきているようです。
ただ、女性も専業主婦になりたいと思っている割合は多いので、専業主婦になりたい女性と、専業主夫になりたい男性が見事にマッチングした相手と出会うのは難しいようです。
特に働く女性は男性に自分と同等以上の仕事をしている相手を望んでいます。
ですから、最初から専業主夫を希望する高収入女性はごく僅かなのです。
男性が最初から専業主夫として結婚するパターンは、自分が高収入を得る仕事を探すより難しいのかもしれません。
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