美空ひばりの夫は小林旭!結婚しても○○はしないし離婚理由がヤバイ

美空ひばり(享年52歳)は9歳でデビューして天才少女歌手と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍をし、自他共に歌謡界の女王と認める存在となった。

『御嬢』の愛称で呼ばれ、昭和の歌謡界を代表する歌手であり、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞している。

今回はそんな美空ひばりの夫について検証していく。

美空ひばりの夫は小林旭!山口組三代目組長の田岡一雄の鶴の一言で結婚も入籍はなし!

 

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美空ひばりは1962年に俳優で歌手の小林旭(82歳)と結婚。出会いは1961年秋のことで、雑誌『明星』での対談だった。

その時のことを小林旭はこのように語っている。

「その時、ひばりが『恋人はいるの?』と聞くから『いないよ』と言ったら、『じゃあ、私と親しくしてよ』ってんで、気が付いたら恋人になっちゃってた

引用:https://www.asagei.com/

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それからというもの美空ひばりからの熱烈なラブコールは続き、小林旭の出向く先々にまで電話がかかってきたという。

雑誌の取材で「ある時は芸能人が何十人も集まったパーティに呼ばれて『私のダーリンよ』と紹介されて‥‥。複雑な気持ちだったよ。」と小林旭は語る。

交際を始める二人だが、小林旭は結婚をまだ考えていなかった。

それにも関わらず美空ひばりが入れあげ、『ひばりの父親代わり』と言われた神戸芸能社社長でもあった『山口組三代目組長』田岡一雄(享年68歳)に自分の意志を小林旭へ伝えるよう頼んだ。

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田岡一雄に「お嬢(ひばり)がアンタに惚れてると言うとんのや。天下のひばりに惚れられて、これは男冥利に尽きるやないかぁ」切り出され、小林旭はたじろいだそう。

「いや、僕は結婚するにはちょっと早いんでね」と言うと、「ひばりはアンタと一緒になれなんだら飯食わんと言うとんのじゃ。ええやないか。一緒になったれや」と田岡一雄に畳みかけられたそう。

これにはさすがの小林旭も「分かりました」と言わざるをえなかったという。

早くいえば脅迫だ。山口組の組長からのお願いを断ったら、どんなことが待っているのか考えただけでも身震いし、夜も眠れないだろう。

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そして1962年11月5日『世紀の結婚式』が行われた。当時美空ひばりが25歳、小林旭は24歳だった。

小林旭は入籍を希望していたが、美空ひばりの母に不動産処分の問題があるからと断られ続け入籍しておらず、戸籍上では美空ひばりは生涯独身であった。

 

新新婚旅行で美空ひばりが自○未遂!メンヘラ具合がヤバイ!

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美空ひばりと小林旭の挙式当日、事件が起きた。

自動車販売会社のセールスマンが式場に新しいジャガーを届け、代金を請求してきたのだ。

驚いたひばりプロの関係者に問い詰められたセールスマンは「小林旭さんに言いつけられた」と言う。

報告を受けた美空ひばりが小林旭に尋ねると「新しいジャガーで新婚旅行に行きたいし、お金はご祝儀が集まってるだろう」と涼しい顔で答えたという。

そして事件が起きる。なんと美空ひばりは自◯未遂をしたのだ。

「そんな非常識なところのある旭さんにひばりはカチンときて、言い争いになった。2人とも折れずに激しい口論になって、旭さんが投げつけたグラスが割れ、その破片でひばりさんは発作的に自分の右手首を切りつけたんですよ。『死んでやる!』と言って。カッとなって驚かすつもりだったんでしょうが‥‥」(レコード会社関係者)

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美空ひばりの右手首の傷は約10センチの裂傷でかなり深く地元の医師の治療を受けたが『ひばり、新婚初夜に自◯未遂!?』の一件はごく近しい関係者の胸に秘匿されたそうだ。

この頃の美空ひばりの奇行ともいえる行動は、今でいう『メンヘラ』とも言えるだろう。

 

望まない結婚に、美空ひばりが自○未遂しても小林旭は愛していた

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そして挙式当日に自◯を図った美空ひばりだが、それでもそんな彼女の事を小林旭は愛していたという。

「ひばりとのことは俺の気持ちにはおかまいなしに進んだから、このままいっていいのかなぁと迷ったことは事実だよ。ただ、一緒に暮らすようになって、ひばりに対していつしか『好き』という感情が湧いてきたのも確かなんだ。」と小林旭は語る。

続いて「あの忙しい彼女がエプロン着けて料理本を見ながら、俺の好きな肉料理、1キロ分のローストビーフとか作ってくれた。天下のひばりも俺の前では一人の女性になろうとした。だから『かわいいやつだなぁ』とだんだんそんな感情が育ってきたんだな」とインタビューに答えた。

美空ひばりと結婚した当初、マスコミはこぞって小林旭を中傷する記事を書いた。

『小林はひばりの財産、地位を利用している』『同じ芸能人として劣等意識を持っている』というものであった。

「そう言われるのはある程度、予期してたよ。だって『天下のひばり』とたかだか日活の『渡り鳥風情』とじゃあ、それはもう月とスッポンの開きがあるってことは、はなから自覚してたからね」と、小林旭はそう達観していたという。

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美空ひばりと小林旭、二人の結婚生活の決定的なネックとなったのは『一卵性母娘』と言われた美空ひばりの母親『故・加藤喜美枝』であった。

その母親の口癖は「加藤和枝(ひばりの本名)は嫁に出すけど、美空ひばりはやらないよ」だった。

これに対し、小林旭は「じゃあどこまでが加藤和枝で、どこからが美空ひばりなんだ。顔と声は万民のものだから、胸から下は小林旭のものか、なんて解釈のしかたをしたりしてね」と。

やがて小林旭は、美空ひばりと母親を中心に回る一家の生活に振り回されるようになってしまったのだ。

美空ひばりの母親『加藤喜美枝』を加えた3人同居の生活は、世間の常識を超えたもので「家内としての役割をきちんと守ってほしい」とする小林旭の言い分は通らなかったと言う。

「言葉ではうまく言い表せないけど、ひばり一家には世間の常識にはない『ひばり一家の方程式』なるものがあったんだよ」小林旭ははこう反駁するしかなかったようだ。

 

美空ひばりの母親を加えた3人同居生活に山口組三代目組長の田岡一雄の脅しで美空ひばりと離婚

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美空ひばりは結婚後一時的に仕事をセーブするようになるが、実母にしてマネージャーである加藤喜美枝や周辺関係者が二人の間に絶え間なく介入し、結婚生活はままならなかった。

また美空ひばり自身も歌に対する未練を残したままだったため、仕事を少しずつ再開し小林旭が求めた家庭の妻として傍にいてほしい願いも叶わなかった。

別居後の1964年、美空ひばりはわずか2年あまりで小林旭と離婚

ひばり親子に頼まれた田岡一雄から会見2日前に小林旭に話があったそう。

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「ひばりはどこまで行ってもひばりだ。日本のひばりなんだから、世間の人に返してやれや。おまえ一人のものにはできないんだよ。そもそも一緒にいることが、ひばりにとって解放されていないことになるんだから、別れてやれや」と引導を渡され、逆らう事は出来なかったと小林旭は自著で述べている。

おいおい、結婚させといてそれはないよと突っ込みたい。

山口組長ともなるとなんでもありだと思ったのは、私だけではないだろう。

小林旭にとっては結婚も離婚も理不尽に決まってしまったのだ。

後に小林旭は美空ひばりとの1年7ヵ月という短い結婚生活について「本人同士が話し合わないで別れるのは心残りだが、ひばりは僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになると思って理解、離婚に踏み切った」と結論づけている。

 

離婚会見で田岡一雄が離婚原因を説明!

美空ひばりと小林旭の離婚記者会見は別々に開かれ、小林旭の会見には田岡一雄と菱和プロ社長・嘉山登一郎が同席した。

小林旭は「本人同士が話し合わないで別れるのは心残りだが、和枝(ひばりの本名)が僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになれるのなら、と思って、理解離婚に踏み切った」と説明。

この『理解離婚』という言葉は当時流行語となった。

理解離婚とは、仲人役が間に入り、お互いが理解し納得し合って別れたという意味だそうである。

田岡一雄と菱和プロ社長の嘉山登一郎が事前に打ち合わせを行い、苦し紛れに作った新語であったそう。

未練はいっぱいある。皆さんの前で泣きたいくらいだ」と離婚は小林旭本意でなかったとも語っている。

このような経験をすることはないから、小林旭の気持ちを本当の意味で理解することはできない。

それでも彼がいかに辛いか少しはわかる。世の中には自分でどうしょうもないこともある。

そして自分以外のことはコントロールできない。

小林旭は美空ひばりに振り回されて散々な結婚生活だったろうに。

その1時間半後に美空ひばりも田岡一雄に同席してもらい記者会見を行った。

美空ひばりは田岡一雄に口添えされながら「理由をお話したいのですが、それを言ってはお互いに傷つける」「自分が幸せになる道を選んだ」と答えた。

また「私が芸を捨てきれないことに対する無理解です」「芸を捨て、母を捨てることはできなかった」とも語り、今後は舞台を主に頑張ると語った。

ちなみにこんな都市伝説がある。

もしかしたら、小林旭のこの一言に美空ひばりが傷つけられ可能性がある。

美空ひばりにとって歌は命ともいえる。その歌を否定された気分になったのではないだろうか。

と同時に歌=芸に集中しなければならないと思ったのかもしれない。

とすれば、小林旭の何気ない一言が美空ひばりとの離婚をうむきっかけを作ってしまったのかもしれない。

出典:https://facta.co.jp/

小林旭にとっては田岡一雄によって、やれ結婚しろだのやれ別れろだの。

振り回されるだけ振り回された結婚生活だったことだろう。

美空ひばりにとっては母親の加藤喜美枝の存在と歌への執着が、小林旭との結婚生活を優先する事が出来なかった原因だったのだろう。

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