大島由香里(37歳)は元フジテレビアナウンサーで現在はフリーアナウンサーとして活躍している。
2015年7月にフィギュアスケーターの小塚崇彦(32歳)との婚約を発表し2016年2月20日に婚姻届提出。
しかし、2019年12月31日に小塚崇彦との離婚を報告している。
今回は大島由香里の両親について検証していく。
目次
大島由香里の両親について
大島由香里の両親について、どのような両親なのか見ていこう。
父親は神奈川県内でも有数のグループ企業を経営していたが、大島由香里が18歳を迎える目前で倒産!負債は80億越え!
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大島由香里の父親は兄と一緒に神奈川県内でも有数のグループ企業を経営していた。
ゼネコンを中心に、ホテルや自動車教習所も経営しており、複数の会社の社長だったとか。
大島由香里の人生が急変したのは18歳の誕生日を迎える目前の2002年、父親や伯父が経営していた会社が次々に倒産したのだ。
いわゆる連鎖倒産で、原因は景気の低迷や、公共工事の削減だったという。
この時期はITバブルが崩壊した時期でもある。
大島由香里の父親が社長の会社だけでも、負債額は80億円を越えていたそう。
父親が経営していたホテルの正確な情報は分からなかったが、2001年に親会社の『中村組』、2002年に『相州観光開発(株)』、『(株)秦野自動車学校』、『相州商事(株)』のグループ企業が破産申告をしており、この会社が父親の企業ではないかと言われている。
そして大島由香里が東京都内の大学に入学した頃、思い出が詰まった自宅も競売にかけられてしまった。
また倒産騒動後に両親は離婚し、大島由香里は母親の旧姓を名乗るようになった。
母親は何をしていた人か不明だが、めっちゃ美人!画像あり
大島由香里は実はかなりのお嬢様で、小学校の頃から湘南白百合学園小学校を卒業し、湘南白百合学園中学・高等学校卒業と神奈川県でも有数の有名女子高を卒業している。
大学も成城大学経済学部で、2006年3月に成城大学経済学部卒業後にアナウンサーとなった。
大島由香里の母親について職業などの情報は一切ないが、教育熱心だったようだ。
それゆえに大島由香里は幼稚園から高校まで有名な女子校に通うかなりのお嬢様で、言葉づかいもとても丁寧であったと友人らが語っている。
大島由香里のブログに母親らしき画像があるが、モザイク越しでも目鼻立ちがくっきりしており美人なことがわかる。
親子そろって美人のようだ。
アナウンサーに慣れたのは母親のおかげ!
自分の事を控えめなタイプだったと言う大島由香里。
アナウンサーになれたのは母親のおかげだったそう。
アナウンサーの試験には1度落ちて、翌年の2度目で受かった。
1年目は大学3年の夏、何も分からないまま募集開始が早いからとりあえず試験を受けたという。
セミナーやアナウンサースクールも一切通わずに受けたが、試験がとにかく楽しかったそうだ。
大島由香里は元々テレビを観るのは好きだったので、昨日観たテレビのスタジオに入れたり、大きなカメラを目の前にしたり興奮の連続だったと。
『すぽると!』のセットでの試験が強烈に記憶に残っていて、そういう刺激的で怒涛のように過ぎていく採用試験が終わり、『テレビ朝日』も最終まで残っていたけど落ちてしまった。
「どうしよう……」と抜け殻になっていた時に、母親から「アナウンサー以外に興味あるの? ないんだったら、来年も受けてみたら?」と言われたんだそう。
母親の世間知らずが良い方に転がったようで、その言葉がなければ、大島由香里はアナウンサーにはならずに全く違う業種に携わっていたと思うと語っていた。
何気ない母親の一言が、その後の人生を決める事になったようだ。
母の日は何もほしがらなかった真意に感動
「母の日は何もいらないからね」と、大島由香里は小さい頃から『母の日』を前にして、自分の母親に本気で毎年宣言されていたとか。
「どうなんだろう…」と考えつつも、本当に何も用意せず『母の日』を過ごしてきたそうだ。
しかし、大島由香里自身、ずっとどこかで何かしてあげた方がいいのかと引っ掛かってきたが、自分が母親になって母親が言った言葉の意味が分かる気がしたそう。
「産まれてきてくれただけで 私は充分すぎるくらい幸せなんだよ」
「母の日は『母を喜ばせる日』もあるけれど『母が(こっそり)喜ぶ日』でもあるなと勝手に痛感しています 何もなくても、子供がいつも通り過ごしている事が母にとって1番幸せです」と自身のブログで語っていた。
そして「P.S.母へ 今年も何もあげません 私は元気です」とも。
自分が母親になった事で、母親の言葉の意味が分かったようだ。
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