尾崎豊の死因の真実がやばい!他殺の可能性も

日本のシンガーソングライター尾崎豊(享年26歳)。

1983年12月、シングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。

ライブでのパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに曲にしており、カリスマと呼ばれていた。

そんな尾崎豊の死因について検証していく。

尾崎豊って何歳で死んだの?26才で当初の公式の発表の死因は肺水腫!

出典:https://www.sonymusic.co.jp/

1992年4月25日早朝、当時の尾崎豊の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見された。

5時45分頃、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれ、診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に診てもらった方がいい」と診断したが、尾崎豊は妻と兄と共に自宅マンションに戻る。

しかし、10時頃になって容体が急変。

呼吸が止まっているのに気付いた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。

日本医科大学付属病院で手当てを受けるも、午後0時6分に死亡した。

26歳と言う若さだった。

死因は肺水腫とされる。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

肺水腫とは、肺の実質(気管支、肺胞)に水分が染み出して溜まった状態を言い、溜まった水分により呼吸が障害され、呼吸不全に陥る。

肺水腫の原因は、心臓の原因とそれ以外の原因に分けられる。

前者は心原性肺水腫と呼ばれ、何らかの原因で心臓の左心室から全身へ血液を送り出す力が低下し、血液が肺に過剰に貯まる状態である。

後者は非心原性肺水腫と呼ばれ、肺毛細血管が病的変化により、液体成分が滲み出して生じるものである。

非心原性肺水腫の中でも、急性呼吸窮迫症候群と呼ばれるものは死亡率が高い疾患である。

重症肺炎、敗血症、重症外傷など様々な疾患に引き続いて生じる場合が多い。

出典:https://www.ozakiyutaka.jp/

内因性には3つの原因が考えられる。

  1. 血管内圧の上昇 毛細血管の内圧が上昇して、水分が外に押し出される状態。左心不全や僧帽弁狭窄症などが原因となる。
  2. 血漿膠質浸透圧の低下 血液中のタンパク質(アルブミン)が減少する事により血管内に水分を留めておけなくなり、血管外に流出する状態。肝硬変やネフローゼ症候群などが原因となる。
  3. 血管透過性の亢進 血管壁が水分を通しやすくなり、血管外へ漏出する状態。重症肺炎などが原因となる。

外因性には有毒ガスの吸入や感電、重症外傷が多い。

  1. 窒息剤、びらん剤などの化学兵器による物。
  2. 感電、重症外傷による心不全、肺の毛細血管の損傷による物。
  3. 薬物、覚醒剤の加熱吸引、燐化水素の吸引、サイアザイド系(チアジド系)利尿薬による急性アレルギーによる物。
  4. 高山などの低気圧環境による物(高地肺水腫)。
  5. 水難事故などによる溺水。

当時、尾崎豊は薬物中毒と言われており、死因は薬物中毒による肺水腫と考えられた。

 

尾崎豊が死に至った経緯

出典:http://www.ozaki.org/

尾崎豊が死に至るまでの経緯を見ていこう。

亡くなる前日、尾崎豊は後楽園の近くで妻の尾崎繁美と共にパーティーに出席していた。

21時30分頃にパーティが終了し、尾崎豊はホテルの喫茶店へ向かった。

喫茶店で旧友と再会した尾崎豊は繁美と別れ、旧友と芝浦のバーへと繰り出す。

バーで大量の日本酒をあおった尾崎豊は酔っ払い、いつもの酒癖の悪さから店員に殴り掛かってしまう。

その後1992年4月25日午前1時30分頃、尾崎豊はバーを出てタクシーに乗り込んでいる。

酔いは醒めておらず、尾崎豊はタクシーの運転手にも暴行を働いた。

結果、午前2時40分頃、タクシーの運転手は千住橋の警察署へ駆け込んだ。

そこで尾崎豊は運転手に謝罪し、料金を支払ったのち警察署を出た。

ここから1時間ほどの尾崎豊の足取りは不明。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

詳細な時間は不明だが、全裸で発見されるまでの間、民家の庭先でブロック塀に頭突きをしている不審な男の目撃情報があり、おそらくこの男が尾崎豊と考えられている。

同日の午前5時頃、尾崎豊は自宅から500mほど離れた民家の軒先で住人に発見される。

発見当時、尾崎豊は服を着ておらず傷だらけで、まるで人から暴行を受けたような有様で倒れていた。

同日の午前5時45分頃に尾崎豊は最寄りの日本医科大学付属病院へ搬送される。

連絡を受けた妻の繁美が病室に辿り着くと、尾崎豊は覚醒剤を摂取していた頃と同じ仕草をしていた。

繁美は覚醒剤をやったのか尋ねると、尾崎豊はやっていないと答え、これは鎮痛剤のせいだと言った。

病院側は「脈も体温も正常です」とだけ答えたそう。

そのため、繁美は尾崎豊と共に午前7時頃自宅へ戻った。

尾崎豊は帰ってからソファに転がり、しばらく暴れていたそうだ。

3時間ほどすると眠りについたので、家族はそのまま寝かせていたが、容体が急変。

午前11時、呼吸が止まっている事に気付いた家族が慌てて救急車を呼んだが、12時6分に死亡が確認された。

 

後日、尾崎豊の死因が大量の覚醒剤服用による肺水腫と発表され他殺説が浮上しファン約10万人が「再捜査嘆願書」を提出するも再捜査はなし!フライデー画像あり

出典:https://www.excite.co.jp/news/

尾崎豊の死について、初めは事件性がないとして行政解剖が行われる予定だった。

しかし千住署、警視庁、検察庁が前日夜に協議した結果、尾崎豊の全身に無数のすり傷があり、右目が腫れ上がりコブもある事から司法解剖に切り替えられ、午前10時から東京監察医務院の医師らによって検視、その後解剖が行われた。

その結果、死因は肺に水が溜まる肺水腫であると発表され、極度の飲酒によるものだと考えられた。

しかし1994年、司法解剖時に尾崎豊の体内から覚醒剤が検出されていた事が明らかとなった。

亡くなってから2年後、覚醒剤について記された『死体検案書』がマスコミに流出すると、尾崎豊の死因について様々な憶測を呼んだ。

そこで10万人近くのファンが『再捜査嘆願書』を集め警察に提出、受理されたが再捜査は行われなかった。

その7年後、『フライデー』により以下の組成措置中の尾崎豊の画像が公開された。

ココから見れるが、閲覧注意。

その様子はショッキングで、右目がこぶのように腫れ上がり、全身のすり傷と打撲傷も確認出来る。

この画像から尾崎豊の死因が謎を呼んでいるのだ。

 

尾崎豊の死の原因は他殺?暴力団員が、なぜ右目が腫れていたのかも説明し「俺が殺した」と証言

尾崎豊の没後も死因や遺体について様々な憶測を呼んでいる。

と言うのも、『フライデー』が掲載した尾崎豊の遺体写真には、暴行を受けたような傷や右目のアザが写し出されていたのだ。

その記事により死因に他殺説が浮上。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

当時検視を担当した支倉逸人によれば、尾崎豊の死因は肺水腫である事のみを発表し、肺水腫の原因が覚醒剤中毒である事は伏せられていた。

中毒は経時的な悪化によるものではなく、大量の覚醒剤服用(オーバードース、薬の多量摂取)による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論づけられている。

内臓も覚醒剤を経口摂取した形跡があり、肺にも覚醒剤中毒の症状が見られたという。

尾崎豊の遺体には全身のほとんどに多数の傷やアザがあり、亡くなった当初は傷害致死の可能性も指摘された。

しかし警察は状況捜査や司法解剖を行った結果から「事件性なし」として調査を終結している。

出典:https://www.minnade-inparusu.com/

検死をした支倉逸人の著書によれば、擦過傷と打撲傷をじっくり調べた結果、他者からの暴行によって生じるものとは異なる状態であったとの記述が。

またそれを裏付けるように尾崎豊が転倒したり暴れて転げ回っていたという証言を警官が確認しており、このような異常行動は覚醒剤中毒者によく見られるものであるとの事。

なお、支倉逸人によれば頭部に小さな外傷性くも膜下出血も確認されているが、極めて微量の出血であり死に至るほどの重症ではなかったと言う。

それらを考慮し、遺書も見つかっている事を考えると、尾崎豊の死因はやはり自殺だったのだろうか。

そこでここでは尾崎豊の死因や遺体に残された謎のアザなどから、他殺だった可能性を検証していく。

尾崎豊の死因は『肺水腫』のはずなのに、なぜ体中がアザだらけで右目が黒ずんで腫れていたのか?

理由は謎だが真実を知る人物が「俺が尾崎豊をリンチして殺した」と語り、雑誌にその犯人のインタビューが掲載されている。

その内容を抜粋しまとめてみた。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

その人物は当時都内の某暴力団組織に属しており、特に興行目的のトラブル処理に当たっていたという身長180センチを超える大男。

その人物と尾崎豊は以前から面識があったようで、「酒を飲もう」と会うのも普通の事だったようだ。

この人物の話によると、その日の尾崎豊は完全にシラフだったという。酒と覚醒剤の両方を自ら致死量まで摂取する事は不可能だそう。なんでも両方一緒にやるとどっちかの量が減るからだ。

なるほど、もっともらしく聞こえるな。

しかし、医師や警察の公式発表によれば、尾崎豊の体内からは多量のアルコールと、死因である『肺水腫』の原因ともなった致死量の2倍にも達する覚醒剤が発見されている。

出典:https://buenavistacity.com/

そのことに関して通常であれば心臓麻痺で死ぬとのこと。

そして、覚醒剤は自分の意思で入るとは限らないと答えている。

そして続けてこのように説明している。

例えば一緒に食事している人間を殺すとしたら、飲み物の中に大量の毒を入れるだろう。これだけ言えばわかるよね?

引用:https://ozakiyutaka.blog.ss-blog.jp/

直接的な事は言わないが、あの日尾崎豊は「自分が尾崎を殺した」と語るこの男とその仲間に東京都足立区の『尾崎ハウス』近くの酒場に呼び出された。

推測も含めるが、そこで酒に大量の覚醒剤を混入され、それを尾崎豊が飲んだという事になる。

そしてこの騒動の最大の謎は尾崎豊の死因が肺水腫であるにも関わらず、全身に暴行痕があり、それにより外傷性くも膜下出血を引き起こしていた事。

尾崎豊死亡騒動当初は、「酔っ払った尾崎が近所のチーマーに絡んで返り討ちになった」などという説も都市伝説的に出たが、真相は謎である。

出典:https://prtimes.jp/

「あの日、尾崎と一緒に店を後にした。その時本当に意識が無いくらい錯乱状態だった尾崎を人目につかない場所に誘導し、その後サンドバックのようにボッコボコに殴り倒した。ふらふらで立ち上がれない尾崎を無理矢理起こして何度も、何度もこの拳で殴った。

引用:https://ozakiyutaka.blog.ss-blog.jp/

恐らく酒と覚醒剤で意識を無くすほど錯乱状態になった尾崎豊を、この人物達は何度も殴り倒したというのだ。

その理由に関しては黙秘しているが、尾崎豊を呼び出した目的は殺す事だったと断言している。

その場所は尾崎ハウスではないものの、なぜ尾崎豊が尾崎ハウスで倒れていたかはこのように語っている。

「尾崎は虫の息になりながら『帰りたい…帰りたい』って何度も呟いていた。そんな状態であいつは夜通し彷徨ってあの家の軒先で全裸で倒れ込んだんだろう。」

引用:https://ozakiyutaka.blog.ss-blog.jp/

断言は出来ないが、男が語った上では尾崎豊は暴行された直後、大量の酒と覚醒剤、そして殴られた痛みの熱を振り払うため自らの服を脱ぎ全裸になったのだろう。

理由は語れないというこの人物に、尾崎豊を暴行する事を依頼した人物は誰なのだろうか?

その頃尾崎豊は暴力団の手に掛かるほど、何かのトラブルに巻き込まれていたのだろうか。

未だその真相が関係者から語られる事は無い。

 

黒幕①斉藤由貴との不倫で離婚調停まで噂されていた嫁・尾崎繁美説→DVもあり、疑いたくなる気持ちもわかるが、そもそも疑われた医師を無視し尾崎豊を病院から連れ帰った報道自体が誤りと兄・尾崎康の本から判明

出典:https://foundia.net/

1994年に流出した『死体検案書』のコピーやジャーナリストが取材した結果を元に、テレビ朝日が妻の繁美と知人が覚醒剤を飲ませて殺害したとする説を主張し、尾崎豊の死を検証する番組を製作した。

ところが尾崎豊の妻の繁美がテレビ朝日と記事を執筆したジャーナリストを相手取り訴訟を起こしたため、番組はお蔵入りとなり放送されることはなかった。

結果は原告の妻の繁美が一審、二審、最高裁すべてで勝訴した。(テレビ朝日は一審判決後原告と和解)。

とはいえ、妻の繁美の謀殺説はたびたび上がっている。

その理由としては2つ考えられる。

まずは前述の暴力団関係者である匿名男性の証言。

尾崎豊の死から15年後、暴力団関係者である匿名男性から新しい証言が。

4月25日、素面の尾崎豊に覚醒剤入りの酒を飲ませ、前後不覚の状態にして複数人で暴行を加えた。

この証言は覚醒剤を経口摂取していたという事実と重なり、一定の説得力があった。

暴行した理由については明かされていないが、これがきっかけとなり繁美による謀殺説が浮上。

しかし証言が真実とは言えず、彼女の謀殺説を主張した記者は繁美に訴えられ敗訴した。

次に繁美の謀殺説が上がった理由として、尾崎豊と斉藤由貴が不倫関係だった事。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

1990年、尾崎豊は当時アイドルだった斉藤由貴と不倫旅行をしていた事がフライデーで報道された。

これがきっかけとなり夫婦仲はあまり良くなかったようだ。

さらにその後、尾崎豊の父親が繁美との離婚を願っていたという話も。

結局尾崎豊と斉藤由貴は別れるのだが、その後も夫婦関係は冷え込んでおり、尾崎豊が死ぬ間際は別居している。

また尾崎豊の死後、繁美と尾崎豊の父親は彼の財産を巡り裁判で争ったという話もある。

そのため、繁美は遺産目当てで尾崎豊を謀殺したのではないかと噂された。

 

この投稿をInstagramで見る

 

尾崎繁美(@shigemi.ozaki)がシェアした投稿

以上2つの理由から、妻の繁美の謀殺説が持ち上がったのだ。

暴力団関係者である匿名男性に殺害を依頼した人物が妻の繁美ではないかと言うのだ。

その匿名男性による尾崎豊集団リンチ告白がされ、ネットでは騒ぎになった。

巨大掲示板『2ちゃんねる』では実行犯を名乗る人物が出現し、繁美が遺産を手に入れるため警察の調査を妨害したという書き込みもされた。

公には繁美の謀殺説は否定されているが、未だにファンの間で信じている人も。

そのため尾崎豊の死後、繁美は謂れのない誹謗中傷から身を守るため子供と共にアメリカへ移住している。

出典:https://ecdeaf.com/

亡くなる前の最後の夫婦喧嘩で、繁美が尾崎豊に暴力(DV)を振るわれた件がある。

この件が一番繁美と尾崎豊の兄の尾崎康と親友だった尾崎豊の最後のマネージャー大楽光太郎との接点上で、共通して書かれている件になる。

大楽光太郎の本『誰が尾崎豊を殺したか』によると、「繁美さんは、頭と腕に包帯を巻いて、顔は左半分がアザになって腫れ上がっていた」という言葉がある。

そして「今回は本当に殺されるんじゃないかって・・・本当に怖かったんです。」と繁美が話したとある。

今回は、と言う事は過去に何回かそのような事があったという事だろう。

尾崎豊が暴力を振るうのはどのような状態の時だろう。

飲酒による酒癖の悪さなのか、覚醒剤による錯乱状態からなのか。

いずれかを摂取した状態で妻の繁美に暴力を振るっていたのかもしれない。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

また、繁美が医師の言う事を聞かずに尾崎豊を病院から連れて帰ったという報道について。

尾崎豊が(尾崎ハウスから)はじめに救急車で病院に運ばれた時、繁美が医師の言う事を聞かずに自宅へ連れて帰ったというような報道があった。

そのため異変に気付くのが遅れ、尾崎豊が死に至ったというような記事があり、そう信じている人もいるようだ。

しかし、尾崎豊は救急車で運ばれてからも「意識があった(泥酔状態ながらも)」事から、繁美が無理矢理連れて帰ったのではなく、尾崎豊自身が家に帰りたいと希望したという。

尾崎豊は病院にいた時も自宅に戻ってからも意識はあった。

兄の尾崎康の本では、午前7時30分頃に大楽光太郎と一緒に尾崎豊のマンションの前に到着した時に、尾崎豊は「ああ、アニキ、わるい、わるい」と話したと書いてある。

これは尾崎豊がこの時意識があり、兄の康をきちんと認識出来ていたという事になる。

そして自宅に戻ってからももがいていた尾崎豊は、「病院で強い薬(鎮静剤)をうたれた」と話した。

これは、病院で暴れていた尾崎豊に医者が鎮静剤の注射した事だ。

この言葉から、尾崎豊は病院でもきちんと意識があったという事が分かる。

尾崎豊の意識があった事は、死の前後に立ち会った3人が記述した本の内容から一致している。

尾崎豊の意識がある以上、繁美1人の意志で医者の言う事も聞かずに連れて帰ったという訳では無いだろう。

出典:https://tower.jp/

『Saygood-by to the sky way.』という本には具体的に父親の健一から大楽光太郎に電話があり、「どうしても本人が帰りたいと言って、マンションに帰ったようだ」という一文がある。

これにより尾崎豊自身が自分の意志で家に帰りたいと希望していた事が分かる。

そして兄の康の本でも、「かけつけた繁美さんに尾崎は帰りたいといった」といった内容の記述がある。

医師もあまりにもひどい外傷があるのを見て「大丈夫かな」と思ったにせよ、泥酔状態で暴れたりしていて意識があったので、「深酒のみ」との判断から帰宅を容認したと考えるべきか。

『Saygood-by to the sky way.』の本では、特にこの辺の事を具体的かつ明確に書いている。

尾崎が自宅に帰ることを強く希望し、繁美さんは入院させて欲しいと言ったが、尾崎はどうしても帰るといって聞かなかった」と言う事が載っており、報道は誤りだという事が分かる。

【関連記事】尾崎豊の嫁の現在がやばい!馴れ初めは○○!画像あり

 

黒幕②創価学会の勢力説

出典:https://www.iza.ne.jp/

尾崎豊と妻の繁美は創価学会の会員だった。

創価学会とは、日本の宗教法人。

しかし尾崎豊は亡くなる5ヶ月ほど前の1991年11月には脱会している。

創価学会は脱会した信者に対し、ひどい嫌がらせをするという噂があった。

そのため世間では創価学会のメンバーにより殺害されたのではないかという説が持ち上がった。

雑誌の記事にも上でも説明したが依頼されたと思われる暴力団関係者の匿名の証言が掲載されていたが、真偽が怪しく、今ではほとんど話題に上がらない。

 

尾崎豊に取り憑かれた少年「慶くん」!アウトデラックスに出演も死因について語らず

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

『アウト×デラックス』にコメディアンの兄・はなわと弟・ナイツ塙兄弟が従姉の『慶(けい)くん』を連れて出演した。

この『慶くん』が数年前から尾崎豊に取り憑かれているそうなのだ。

慶くんの本名は慶子(苗字は非公表)、年齢47歳(2022年現在)。

慶くん曰く「勘なんだよな~霊感じゃなく。僕がビックリしちゃってる」と。

慶くんが異変に気付いたのはもう10年ほど前で、何かが降りてくるようになったそう。

始めは自分でも降りてくるのが何なのかハッキリとは分からなかったが、なんとなく『尾崎豊』がよぎっていたそう。

その頃から周りの人に「尾崎みたいだよね!」と頻繁に言われるように。

そんな慶くんがある日偶然に尾崎豊の妻である繁美に会った。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

その時に繁美に連絡先を聞いたのだが「どうせ、連絡先きいてもアデランスとかの電話番号教えるんでしょ?」と言うと、繁美は「やだ~初めて旦那と出会った時に電話番号きかれて、私嫌だったからアデランスの番号教えたの憶えてる?」と言ったのだ。

これを言い当てたのは慶くんの『勘』だったそう。

つまり尾崎豊が当時、繁美に連絡先を聞いたのと全く同じことを慶くんがやったということだ。

なんともうさんくさいが…笑

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

そして初めて繁美に会った時、慶くんは舞い上がってしまい思わず「しーちゃん!」って言ってしまったのだ。

この「しーちゃん!」とは尾崎豊との夫婦間でしか使われていない二人だけの呼び方。

これに対して繁美は「やだ~尾崎くんと私、しーちゃん・ゆうちゃんの仲だったの」と言ったそう。

これも慶くんの『勘』なのだそう。

そして慶くんが語る『尾崎豊の死の真相』とは。

話は尾崎豊がバーに誘われたところから。

誰に誘われたのかは言えないそうだが1人ではなく数人の人物だった。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

そして酔っぱらった尾崎豊はタクシーで帰る際に運転席をバコン!バコン!と蹴り途中でタクシーを降ろされる。

降ろされた所に家の壁があり「またお前、酒でヤラレやがって!」という父親や家族の顔が浮かび、自暴自棄になった尾崎豊は「あぁ、どうしようどうしよう」と思いながら壁に頭を打ちつけたのだ。

その為、尾崎豊は脳挫傷か何かになったのでは?と慶くんは言った。

息苦しくなり服を脱ぎたくなり裸になっても暑かったそうだ。

病院から自宅に帰り、再び病院に運ばれ死ぬ間際は家族がいて、苦しみの中で何かを掴もうと思った手が繁美の頭を叩いてしまい「あーごめん」と言ったのが最後の言葉だったそう。

本当は「ありがとう」って言いたかったのになんで「ごめん」って言っちゃたんだろう、と思っているというのが『慶くん』が語る尾崎豊の死の真相。

あくまでも尾崎豊に憑りつかれているという慶くんの話なので、信憑性は定かではない。

 

尾崎豊の遺書が公開されるも、父親は自殺、他殺に懐疑的!

出典:https://oceans.tokyo.jp/

さきほども紹介したが尾崎豊の兄の親友でもあった最後のマネージャー大楽光太郎の『誰が尾崎豊を殺したか』という本がある。

この本は犯人を名指ししているのではなく、尾崎豊の死の前後の出来事にクローズアップしている。

この本の一番初めの方に、著者の「当時の」結論が出ている。

それは「限りなく他殺に近い自殺だ」と。

生活感のないマンションで、とても孤独でひとりぼっちでいた尾崎豊。

そして尾崎豊の兄である康の本に書いてあったのは、母親の死と尾崎豊の死の関連を「何か因果関係があるのではないか」と示唆しているところが。

また亡くなる一週間前、尾崎豊が兄の康に「仕事を一緒にするのなら、今しかないんだよ」と話していたのはなぜなのか。

出典:https://ozaki3.xyz/

中学時代の親友と俳優の吉岡秀隆と最後に会った時、尾崎豊が「何か言いたい事があったようだ・・・何かを言い掛けてやめた」というのは、親友とも呼べる友人達に何を話したかったのだろうか。

なぜ「昔家族で暮らしていた家に似ている所」で尾崎豊は発見されたのだろうか。

そして、妻の繁美の本に書かれている自宅に貼ってあったコンサートの日程を書いたスケジュール表を、尾崎豊はなぜ剥がしてビリビリに破いてしまったんだろうか。

尾崎豊が亡くなる5日前に「俺がもし一緒に死んでくれ、と言ったら、一緒に死んでくれるか」と繁美に訊いたのはなぜだろうか

不規則で疲れ果てていた生活と母親の死。

尾崎豊は肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまっていた日々の生活の中で、最後に残されたただ一つの安らぎを求めていたのかもしれない。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

2011年11月9日、翌10日発行の『文藝春秋』に尾崎豊の『遺書』全文が公開される事が報じられた。

尾崎豊が亡くなった日に発見された時に持っていたセカンドバッグに『遺書』が入っていたという。

文藝春秋の記事はジャーナリストの加賀孝英が執筆した。

『遺書』と言われる文書の存在は1994年の月刊誌で報じられたが、全文掲載は初めてとなる。

加賀孝英が同年に入手していたが、尾崎豊の妻である繁美から「長男の尾崎裕哉が物心つくまで公表しないで欲しい」と要請され、全文公開を控えていた。

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

尾崎豊の息子の裕哉が成人してアーティストとしてCMで歌声を披露した事や、『尾崎ハウス』が解体された事を契機として公開に至ったとしている。

一方『NEWSポストセブン』によると、1994年に本来なら未公開であるはずの『死体検案書』が一部のマスコミに流出した。

これにより他殺説が噂されたり、当時尾崎豊の父親が署名を集め警察に再捜査を要請したなどの経緯もある事から、父親は遺書の公開についても真偽について疑念を抱いている。

今となっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺ではない。豊じゃないから分からないけど、なんで死んだんだって…今でも思ってます

引用:https://www.news-postseven.com/

と尾崎豊の死が自殺である事を否定した。自分の息子が自殺したとは親であれば信じたくないものだろう。

 

尾崎豊の真実の死因は外傷性クモ膜下出血による肺水腫!ただ自殺or他殺or事故死のどれかは不明

出典:https://www.cinematoday.jp/

尾崎豊が自宅に戻った後の行動は、兄の康の本に「上半身を起こしたかと思うと、急に仰向けにばたんと倒れた。それで何度か頭を床に打ちつけた。繁美さんの持ってきた毛布で、頭を守った」という記述がある。

大楽光太郎の本でも「のたうちまわっていた」とある。

康と彼を押さえつけていたとあり、「頭を打ちつけようとしていた」という一文もある。

尾崎豊自身が薬の影響からか、初めて救急車で保護されるまでにこういった行動をして何度も頭を打ちつけており、すでにくも膜下出血につながる外傷を作ったのではないかと考える事も。

また、死因となった『肺水腫』は『クモ膜下出血』によっても起きる。

尾崎豊には外傷性のくも膜下出血がある事から、これが引き金となったのかもしれない。

九州の医学従事者からの情報では、「覚醒剤で肺水腫を起こす事は難しく、中枢神経障害がまず起こる」とある。

とすれば、外傷(クモ膜下出血)による肺水腫の可能性が非常に高くなる。

出典:https://tower.jp/

くも膜下出血は頭痛や吐き気・嘔吐を伴う。

尾崎豊は嘔吐を繰り返していたけれど、それはアルコールのせいだと思われてしまい、嘔吐による異常には非常に気付き難い状態だったのは確かだろう。

ただ、頭痛に関しては誰の本にも一言も書いていない。

その事から尾崎豊はクモ膜下出血によるひどい頭痛が起っていたかもしれないのに、「頭が痛い」とは訴える事がなかったようだ。

痛みがそれほどではなかったのか、それとも、尾崎豊は病院に戻される事を避けたかったのかも知れない。

「苦悶の表情を浮かべていた」と誰かの本に書かれていた事から、尾崎豊は何も言わずにただもがき苦しみながらくも膜下出血によるひどい頭痛とずっと戦っていたのかもしれない

また検出された覚醒剤自体は自分での服用か、無理矢理飲まされたのかは不明なため、結局、自殺・他殺・事故死のいずれかは不明である。

 

尾崎豊の葬儀には約4万人が参列

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

尾崎豊の訃報の後、自宅前に大勢のファンが押しかける事態に。

雨の降る4月30日、東京都文京区の護国寺にて葬儀・追悼式が行われ、参列者は4万人近く に上り、規模は美空ひばり、吉田茂に匹敵するものとなった。

翌日密葬は日蓮正宗にて営まれ、最後の別れを惜しみ、至る所でファンが尾崎豊の曲を歌う姿があった。

 

尾崎豊は埼玉県所沢市で眠っている

出典:https://ja.worldorgs.com/

墓所は埼玉県所沢市の西武球場の近くの小高い丘の上にある狭山湖畔霊園。

防犯上、警備上の理由のため、実際にはこの墓地には尾崎の遺骨は納骨されていない。

誕生日や命日には今でも多くのファンが訪れている。

ファンの間では墓石に線香の代わりにたばこを供えるそうだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.