横浜流星の日出高校時代のやんちゃエピソードがやばい!

今最も旬な俳優の一人である横浜流星さん。運動神経も抜群で、中学三年生の時には極真空手でなんと世界一位を獲得している実力の持ち主です。

そんな横浜流星さんの高校時代について迫ってみました。

横浜流星の高校はどこ?→日出高校(現:目黒日本大学高校)で偏差値は45!高校時代のエピソードについて

横浜流星さんですが、出身高校は日出高校です。現在は目黒日本大学高校と名称は変更されています。

横浜流星さん自ら出身高校を明かしてはおらず、ある人物によって高校が判明したんですが、それについてはまたあとで記述します。

目黒日本大学高校は東京都目黒区目黒にある私立高校で、学校法人日出学園が設置・運営する中高一貫校であり、学校法人日本大学の準付属校です。

2017年12月4日に学校法人日本大学と準付属契約を結んだため、2019年4月から校名が日出高校から目黒日本大学高校へと変更になっております。

高等学校(全日制)では、中学校から内部進学した生徒と高校から入学した外部進学の生徒の間で第一学年から混合してクラスを編成しているみたいです。

この目黒日本大学高校は芸能コースが設けられており、卒業生や在校生の中から数多くの有名人を輩出しています。

この学校を卒業した有名人の例としては、山口百恵さん、上野樹里さん、新垣結衣さん、多部未華子さん、剛力彩芽さんなど。芸能界で第一線で活躍している方ばかりですよね。

こちらの目黒日本大学高校の偏差値は45だそう。芸能活動に集中できる学校として人気があるようです。

横浜流星さんは、高校の卒業のタイミングで大学進学も頭をよぎったそうですが、芸能界でやっていくんだという強い決心のもと、大学へは進学せずに芸能界の道を選んだようです。

将来の進路を決断したときの心境を過去のインタビューでこのように語っています。

「トッキュウジャーが終わった時期が、高校を卒業して大学へ行くかどうかという進路のタイミングでした。結構悩んだのですが、大学へは行かずに、この世界でやっていくんだと覚悟を決めたとき、甘い考えではいけないと察しました。人を気にするより、まずは自分の土台を固めなければダメだろうという思いが強くなりました」。

引用: https://www.cinematoday.jp/

大学に通いながら芸能活動をする芸能人も多い中、芸能界に進むからには中途半端なことはできないと考えたのでしょうね。

その潔さが清々しくありますし、世界優勝を獲得した空手を始めとした何事にもストイックに取り組む姿勢が今の横浜流星さんの活躍につながる原動力になっているのではないかと思います。

 

日出高校(現:目黒日本大学高校)出身とバレたのは同級生の親友・高杉真宙の発言から

出典:http://engekijin.blog.jp/

先ほど横浜流星さん自ら出身高校は明かしていないと述べましたが、ではなぜそのことが明らかになったのでしょうか?

実は、同じ出身高校でクラスメイトでもあった高杉真宙さんがテレビ番組「極上空間」でそのことを明かしたからでした。

同じ高校に通っていた横浜流星さんと高杉真宙さんは、切磋琢磨しあう親友同士。今まで舞台『闇狩人』や映画『虹色デイズ』で共演も果たしています。

今では親友同士でお互いのSNSにも登場する二人ですが、実は高校時代の第一印象はお互いに良くなかったんだとか。

横浜流星さんは高校時代目立つタイプだったらしく、それとは反対に高杉真宙さんはクラスの端っこにいるタイプだったそう。

クラスで目立つ存在だった横浜流星さんの事を、高杉真宙さんは関わる事はないとまで思っていたみたいです。

「ただ高校時代はちょっと住む世界が違ったんですよね。学校の中でも陰と陽ってあるじゃないですか(笑)。僕は村人AというかBくらいだったので」

引用:https://laurier.press/

高杉真宙さんが「陰」、横浜流星さんが「陽」というイメージだったようです。

出典:https://rankingbox.jp/

そんな二人はあることがきっかけで仲良くなります。

それが「仮面ライダー」でした。

高杉真宙さんが『仮面ライダー鎧武』に出演することになり、ほぼ同時期に『烈車戦隊トッキュウジャー』のオーディションを受けることになった横浜流星さん。

仮面ライダーがきっかけで、二人の仲は急速に縮まりました。

「僕たち最初はそんなに仲良くなかったんですよ。もちろん話したこととかはあったんですけど、今みたいな感じじゃなくて。そのきっかけが真宙が仮面ライダー(『仮面ライダー鎧武/ガイム』)に出ることになって、僕も戦隊モノ(『烈車戦隊トッキュウジャー』)のオーディションを受けていたから、その話とかを聞くようになったことで。そうやって普段から芝居の話もしていたから、今回も真宙にはそういうことも話せたんだと思います」

引用:https://laurier.press/

人との縁ってどこになるのか本当に分からないものですね。

 

昼休みに岩谷翔吾とダンスバトル

出典:https://www.pinterest.jp/

他にも、横浜流星さんと親しい友人というのが、パフォーマーの岩谷翔吾さんです。

この二人は映画『チア男子!!』にて共演しています。

このチア男子!!のインタビューで岩谷翔吾さんは、横浜流星さんから会う度に「演技を続けなよ」と言われて嬉しかったと明かし、高校時代から仲の良かった横浜流星さんと映画で一緒に縁をすることが不思議な感じだったけれど何より心強かったことを明かしています。

「同い年で、こんなに頑張ってるんだな」と心からリスペクトでき、2人の友情は更に深まったそうです。

映画では、ダンスのシーンで岩谷翔吾さんが横浜流星さんを教える場面もあったそうで、昼休みには二人でダンスバトルも繰り広げていたようです。

ダンスのシーンでは、流星に教えることもありました。流星は高校の時からダンスが好きで、昼休みには僕と2人でダンスバトルをしてたんです(笑)。彼はKRUMPダンスがすきなので、曲をかけながら教えたりすることもありました。流星も音を持ってきて「ダンスバトルだ!」と言ってきて(笑)。自由な感じでした。

引用:https://news.mynavi.jp/

KRUMPダンスとは、ストンプ(足を踏み付ける)・チェストポップ(胸を突き出す)・アームスイング(腕を振り下ろす)の3つの動きが基本であり、仲間との高め合いの為のバトルやセッションがメインとされるダンスのことです。

この映画『チア男子!!』で二人は難しいポジションを担当していたそうで、お互いに相談しながら撮影に挑んだとのこと。

トップならではの悩みは2人で共有して、相談していましたし、刺激し合っていました。たとえばジャンプして足を広げる「トータッチ」は先に僕ができたので、流星が少し悔しそうにしてたんですが、僕がスランプになった時には流星がめっちゃきれいにできるようになっていて、切磋琢磨しあってる感じでした。トップ同士ならでは、かつ同級生ならではの肌で伝わるものがあって、練習も楽しかったです。

引用:https://news.mynavi.jp/

そして、難しいポジションのせいかなんと撮影予定前日に横浜流星さんが大怪我をしてしまいます。

しかし、大怪我をしていることを伏せたまま撮影は続行。なんとか映画は無事撮影を終えました。

「3カ月間みんなが一生懸命やったことを無駄にしたくなかったし、痛み止めをめちゃくちゃ飲んで、乗り切りました

引用:https://news.mynavi.jp/

すごい気合ですね。

 

飯豊まりえらと共にお祭りに

目黒日本大学高校出身の横浜流星さんですが、同じ高校出身の飯豊まりえさんとの高校時代のエピソードを語っていました。

高校時代、お祭りに一緒に行ったことがあるという2人。アナウンサーから楽しかったかと尋ねられると、自信なさげに楽しかったですと語る横浜流星さんでした。

こんな二人がいたら目立ちそうですね。

 

ヤンキーだった!?→ヤンキーではないがやんちゃであったのは事実

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

今では好青年なイメージの強い横浜流星さんですが、意外にも高校時代は結構ヤンチャだったようです。

高校時代を知る高杉真宙さんによると、当時の横浜流星さんはクラスの中心的な存在で、みんなのリーダー的な存在だったそう。

横浜流星さん自身も、目立つことが好きで無茶ばかりしていたと語っています。

「高校1年のころは『やんちゃしすぎ』な生徒だったんです(苦笑)」

引用:http://www.koukouseishinbun.jp/

例えば水道管を破裂させたり、ガラスを割ったり、学校の二階から下にいる校長先生のところまで飛び降りたり、通学偉大に親友である幼馴染と一緒に校庭で真っ裸になったりなど・・。担任の先生に怒られることもしょっちゅうだったようです。

また親にも反発する態度を取っていたそうで「これという理由がないのに、いつもイライラしたりモヤモヤしたり……。反抗期でした」と明かしています。

尾崎豊の歌を地でいっている感じですね。

ただ、こうした高校生時代も本人としては楽しかったようで、毎日イキイキとした高校生活だったと振り返っています。

「高校生のころは、毎日何も考えずに、その日が楽しければいいと思って過ごしていました。今思えば一瞬一瞬を生きていた、悪く言えばバカだったなと思います(笑)。

引用:https://thetv.jp/

また怖いものがなく、世の中は自分中心で回っていると思っていたそうです。

体育祭は率先して盛り上げる役だったということなので、スクールカーストでは、上位だった事がうかがえますね。

高校2年生から芸能活動が活発になり、俳優の仕事を通して多くの大人と接することで態度は改まっていったようで「(ささくれだった)気持ちが落ち着き、僕を気に掛け、支えてくれる親や周りの方々に感謝の気持ちを抱けるようになりました」と話しています。

ドラマや映画等ではたくさんの方が力を合わせて作品を作っているので、周りに支えられていることに気づけたのでしょうね、世の中は自分中心ではなかったと。

それにしてもすぐに感謝できるようになるなんて横浜流星さんは素直で素敵な人ですね。

素直な性格はやんちゃ時代に叱ってくれた先生の対応にもあらわれていました。

「あのころ、僕のことを真剣に思って叱っていただき、感謝しかないです。先生と話していると、やんちゃな高校生の自分に少し戻っちゃう(笑)。でも今は、(軽口を交わし合える)その関係がなんかいいんですよ」

引用:http://www.koukouseishinbun.jp/

高1時代の、この先生とは現在も親交が続いているようです。

誰でも思春期は先生や親に反抗しますす、大事なのはその後だと思います。

当時迷惑をかけてしまった高校時代の担任の先生に、「叱ってただき感謝しかない」とありがとうをしっかり伝えられる横浜流星さんは本当に素敵な人なのではないでしょうか。

ちなみに反抗期に関しては幼稚園時代のこんなエピソードを明かしています。

「1つ下の弟を連れ回して何度も迷子になったり、遊びに夢中になって家のガラスを割ってしまったり……

引用:https://natalie.mu/

出典:https://natalie.mu/

こんなにかわいい頃からやんちゃだったのですね。わんぱく小僧だったようですね。

 

腰パンではなくハイウエスト派

出典:http://hanaflowerblooming.com/

ヤンチャな高校生時代を送っていた横浜流星さんですが、制服は着崩さず、パンツもハイウエストではくのがポリシーのよう。腰パンが流行っていても、だらしなく見えるのが嫌で、私服でも必ずスラックスにタックインというスタイルを貫いているようです。

こういうところは好青年なところがまた魅力的なのかもしれません。

 

二面性ありなタイプ

陽の雰囲気しか持ち合わせていなさそうな横浜流星さんですが、実は陰と陽の二面性を持ち合わせているという証言がありました。

映画『なくなれ、群青』で共演した、高校時代の同級生でもある松岡広大さんから「横浜流星は温泉に入るとすごい笑顔になる」と暴露されています。

なんだかほほえましいエピソードですね。

 

高校時代の彼女は森高愛?→ただの幼馴染み

出典:https://yunoya.com/

女性ファンの皆さんが気になるのが、横浜流星さんの彼女についてなんですが、実は以前森高愛さんと付き合っているのでは?と噂がありました。

その発端となったのが、「烈車戦隊トッキュウジャー」での共演。

2人は幼馴染役で共演していたのですが、実際でも二人は幼馴染の様な関係だったのです。

というのは、二人はファッション誌「ニコ☆プチ」でモデルとして共演しており、その雑誌での設定で、森高愛さんが横浜流星さんを好きで追いかけるというものがありました。

出典:https://kaikumikodaisuki.com/


※合成後

出典:https://rxcxy.com/


※合成前

出典:https://rxcxy.com/

他にも合成された二人のツーショットのプリクラがネットにでまわったりするなど、熱愛報道がありましたが、すべてデマであることがわかりました。

 

横浜流星の高校以外の学歴について

横浜流せさんの高校以外の学歴についてみていきますね。

 

小学校で原宿でスカウト

出典:https://aiulog.com/

横浜流星さんの出身小学校は不明ですが、予想するに松伏町立松伏小学校、松伏町立松伏第二小学校、松伏町立金杉小学校だそうです。

得意の空手は小学校1年生の頃からはじめており、現在も筋トレは続けているとのことです。

なお小学校時代から空手の師匠の言いつけによって、ケンカをすることあがっても絶対に手は出さなかったようです。

芸能界入りするきっかけとなったのが、家族ではじめて行った原宿でのこと。

原宿の竹下通りを歩いていたところ、スカウトの人がやってきて、横浜流星さんのお父さんに話しかけたよう。当時小学校6年生だった横浜流星さんは、よく理解していなかったようですが、なんとなくOKの返事をしたんだとか。

小学校6年生当時、オシャレにも目覚めていなかったらしく、ボサボサヘアーだったとのこと。

それでもスカウトされてしかもこれだけ有名になったので、当時のスカウトマンすごいですね。

 

松伏町立松伏第二中学校時代には空手で世界大会優勝

出典:https://xn--u9j5h1btf1ez99qnszei5c8ws.com/

横浜流星さんの出身中学校は、松伏町立松伏第二中学校です。

そして、冒頭でも述べましたが、中学3年生のときに子供のころからやっていた極真空手で世界大会で優勝します。

空手に関しては同じ町内にある極真空手総支部松伏道場に通っていました。

小学校の時に芸能界から声のかかっていた横浜流星さんですが、中学時代は極真空手を優先していたみたいですね。

「事務所に入って、最初はレッスンを受けるんですけど、空手もやっていたので、そっちに集中すてレッスンはあまりいってなかったです(笑)

引用:https://yumeijinhensachi.com/

空手に夢中になっていたようですね。

「第7回交際青少年空手大会13.14歳男子55㎏の部」でも優勝を果たしています。

ただしここに至るまでには並大抵ならぬ苦労があったようです。

道場の仲間にボコボコにされて、ずっと負けていた時期があってもあきらめなかったから大会で優勝できたと、後に横浜流星さんは語っています。

これだけ強い横浜流星さんですが、前述したように喧嘩の時には決して手は出さなかったそう。自分の方が強いことを十分に分かっていたんですね。

また学校では陸上部に所属しており、スポーツは万能でした。

陸上よりも空手に力を入れていたので部活動にはあまり出ていなかったと明かしていますが、それでも大会に起用されたこともあるそうです。

芸能活動の面では中学時代はローティーン向けのファッション誌「ニコプチ」などのモデル行が中心でした。

中学3年生の時から「nocola」のメンズモデルを務めていましたが、後にメンモ人気投票1位となって、初の誌上連載も行われています。

出典:https://yumeijinhensachi.com/

なお「nicola」のメンズモデルは高校を卒業した年まで続けており、長らく看板モデルとして活躍していました。

そして中学3年生の時に「仮面ライダーフォーゼ」で俳優デビューを飾っています。

ちなみにデビュー作の 「仮面ライダーフォーゼ」は主演の仮面ライダーフォーゼを福士蒼汰さん、準主役の仮面ライダーメテオを吉沢亮さんが演じており、現在は超売れっ子の2人が出演していたことでも知られています。

横浜流星さんはレギュラーではありませんでしたが、仮面ライダーメテオの親友で同じ武術道場に通っているという設定でありました。

佐藤健さんやオダギリージョーさんを始めとして、仮面ライダーは人気俳優への登竜門になっていますので、横浜流星さんも登竜門をくぐったといえるでしょうね。

今最も旬な俳優と言われている横浜流星さん。今後もそのさわやかな笑顔で世の女性たちを魅了していってほしいと思います。

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